朝5時に目が覚めた。
前夜寝床についたのが遅くまだ眠り足りなかったが構わず起き上がった。
家事を済ませ身支度整え、朝6時過ぎに家を出た。
湾岸線を快調に突っ走って朝7時には関空に着き第2駐車場にクルマを停めた。
飛行機の予定到着時刻は朝8時45分。
いくらなんでも早く着きすぎた。
空港内をぶらついて時間をつぶす。
日曜早朝であってもいつもと同じ。
旅に赴く人、誰かを迎える人らが始終出入りし空港内は混み合っていた。
到着ゲートの前。
胸の高さで出迎えボードをじっと持って立つ日本人青年がいた。
まもなく、ゲートから出てきた欧米系のツーリスト4人が青年を見つけ笑顔で駆け寄った。
青年の背は小さく、ツーリストらは大きい。
まるで山に取り囲まれたようなもの。
劇で誰かが地形に扮するとすれば、青年の役割は谷、以外のなにものでもなかった。
ツーリストらは陽気に英語で挨拶するが、青年はおどおどして何も応えられない。
やっとのこと、オーバーゼアとだけ一言発し、進む方角をおぼろに指さした。
青年がした反応はそれだけ。
陽気なツーリストもこのときばかりは押し黙った。
やはり少しくらいは英語ができた方がいい。
その光景を目にしてわたしは思った。
それにもし仮に英語ができなくても、日本語にもちゃんと挨拶のための言葉がある。
だから青年は「まいど」やら「おおきに」やら「ようこそおこし」やら何でもいいから明るく言葉を発し、歓迎の意を表すべきだっただろう。
まさにエキゾチック・ジャパン。
薄気味悪いにもほどがあるという出迎え方であった。
そうこうしているうち8時半過ぎ、家内の乗る飛行機が着陸したとの表示が出た。
早速、長男と二男にメールを送った。
『ハハ、カエル』。
ゲートの前で待つことそこから1時間、ようやく家内が姿を現した。
充電の旅を終えまだその余韻が引き続いている。
そんな様子で家内はどこからどうみてもハイだった。
積載の限界といった量の荷物をカートで運んでクルマに積み、カジュアルな店で寿司が食べたいと家内がいうので、西宮ガーデンズの大起水産を目指すことにした。
ちょうど開店前の時間に着くから、並ぶこともないだろう。
目が合った瞬間からはじまった二万語は、クルマのなかで加速した。
シャルルドゴール空港での飛行機搭乗前、たまたま話した人がブラジルサンパウロの弁護士だったといって、もらった名刺を見せてくれる。
ポルトガル語の他、マルセロ・カルガノとカタカナの記載があった。
阪大で学んだことがあって足繁く日本を訪れているとのことだった。
マルセロと話をするうち、彼が月曜日に日吉で慶應法学部の一年生を対象に講演すると分かった。
なんと奇遇な。
ああ、それならばと思い、家内はマルセロに長男の特徴を伝えた。
その講演に息子が参加するかどうか分からない。
が、もし見かけたら声をかけてとお願いしたというから親心である。
信号待ちの際、マルセロの名刺を写メにして長男に送った。
大起水産の開店は11時。
それより早くに到着したが、すでに長蛇の列ができていた。
そこまでして回転寿司が食べたいのか。
そんな風に思え、その光景がまるで何かの冗談みたいに見えた。
しかし家内が食べたいのであるから並ぶ以外の選択はなかった。
手にした整理券を見ると20番目。
気が遠くなったが、結局待ったのは40分だけ。
2分ごとに客が一組入れ替わるという計算であるから回転はかなり早いと言える。
そして久々の大起水産、流れ来る皿のどれもが美味しく、待った甲斐があったというものだった。
こんなに美味しかっただろうかと過去の記憶を探るが、回転寿司業界の競争が激化するなか、大起水産も進化を遂げたということなのだろう。
腹ごしらえを終え家に戻って荷解きを手伝う。
隣家へのみやげ、息子らへのみやげだけでも結構な嵩である。
わたしにも財布の土産があった。
日本で買うと9万円だがパリでは3万円と家内はその値打ちを説明するが、つまりこれは3万円の財布ということである。
世には、ふんだんに価額上乗せされた財布になど見向きもしないリアリストがいて、関税やら手数料やら何やらをちゃっかり上乗せするリアリストがいて、その一方、そこに上乗せされた6万円に何かを夢見てそれで何かが変わると信じ財布の紐を緩めるロマンチストがいる。
われら下々の民、リアリストでなければ生きてはいけず、だから3万円の財布を3万円で買ったこの買物は正しいということになり、子らにはリアリストであってほしいと思うから、これを9万円で買うことはない、との説明の実例に用いつつありがたく大事に使わせてもらうつもりだ。
もちろんリアリストと言っても、子らに吝嗇家になってほしい訳ではない。
たとえば今回、遠くはるばる異国を訪れ、タイミングよく友人からお誘いを受け会うこと叶って食事する機会があり、先方はご主人も同席したというが、2回の食事が2回とも割り勘だったという話を聞くとずっこける。
二人の息子が、そんな不調法者になるわけないが、一般論として釘を刺しておかねばならないだろう。
遠方から人が訪ねてきて誘って一緒に食事するなら一度はもてなすのが当然で、それは人類に埋め込まれた行動様式でありつまりは長い時間をかけ形作られた作法であるから、ホストの側が我れ先にと割り勘を申し出るなど人類の歴史を塗り替えるような暴挙とさえ言え、だからわたしは二回が二回とも少額なのに当たり前のように割り勘分の額を請求されたと聞いたとき、耳を疑い切なさ極まって小さな悲鳴をあげた。
何も割り勘分のお金が惜しい訳では全くない。
小さな小さな割り勘が原因で歓迎の意が霞むのではと迎えた側は思わないのだろうか。
その心に寒さ覚えるだけのことである。
東アジアに限ってみても同じシチュエーションに置かれ割り勘を求める中国人や韓国人がいるなど考えられず、おそらくエキゾチック・ジャパン、日本人にのみ見られ得る特殊なケースなのだろうと思う。