KORANIKATARU

子らに語る時々日記

揺らがないメッセージを感じるからこそ

上六の近鉄百貨店に立ち寄って柿安で惣菜を買い、この日の日本酒として獺祭を選んだ。


夕刻、実家。

まだ明るいうちから父と飲む。

テーブルで差し向かい。


話題はほぼすべて家族のこと。


前日の昼、たまたま近くを通りかかったので、わたしはとびこめの寿司を実家に持参した。

今日は弟が寺田町の名店舟屋の鰻弁当を差し入れたという。


先日は東京からぶらり上の妹が顔を出し、下の妹は家も近いから日を空けず通う。


各自忙しく同時に顔を合わせる機会は少ないが、めいめい親を思って動く様子がとても頼もしく、伝え聞くこういった話が媒介となって兄弟姉妹の連帯感が強まっていく。


東京にいる上の息子もたまに電話を入れるというし、下の息子も学校帰りにひょっこり顔を覗かせることがある。


こうであってこそ家族というものだろう。

ちょっとした交流、ほんとうに些細なやりとりが前向きなストロークとなって家族関係が維持される。


日本酒が空いたところでお開き。

家に帰るには早かったので、帰途、駅前の焼き鳥たくみで飲み直した。


店主は相変わらず度肝抜くほど無愛想。

だが本来、焼き鳥屋と言えば男子がひとり静かに過ごすべき場所である。

ぺちゃくちゃ小うるさい店主より寡黙で無愛想な方がよほどいい。


うちの妹らは嫁に行ったが、しかし嫁に行ったからといってうちでよそ者扱いされることはない。


家督相続的な因習が根強く残る家風だと嫁として放り出せばまるで口減らし、もはや関係ないといった線引きがされることもあるようだ。


そんな嫁本人にしてみれば、要は他人の一団に放り込まれ、あとは知らんといった話になるのだから、場合によっては、疎外感は倍増しといったようなものだろう。


その漠とした疎外感が思いがけずいろいろな場面に影を落とし、おぼろだが常につきまとう不安の源泉になるといったこともあるかもしれない。


なんとなくさみしい。

その原因は意外と身近なところに端を発していて影響は決して小さくなく、少なくとも家族形成のストロークとしては後ろ向きに作用することは間違いない。


何があろうとおまえはわたしの子どもだ。

そんな揺らがないメッセージを感じるからこそ子にとって親は絶対的に親であり兄弟姉妹がその下に結集することになる。


「嫁に行った後は知らん、そこで生きていけ」と突き放されたら、あんたら誰やねんという家族関係の抜け殻だけが後に残って、ただただ虚しいという話になるのがオチだろう。

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Ernest Hemingway (1899..1961)