仕事を終えての帰途、この日も途中下車した。
このところ早起きが続いているので仕事が前倒しで終わって気分健やか。
腹も減る。
今夜も夕飯は立花正宗屋。
カウンターに陣取った。
仕事後のおじさんらのくつろぎのなかに混ざり、わたしも芯から安らいだ。
こんなアフターファイブがわたしの本望。
学生の頃に夢見た暮らしがまさにこれで、仕事後にちょいと一杯ひっかけられる身分になることを青雲の志として胸に抱いた。
30年前のわたしに声を掛けることができるなら、是非とも隣席に誘いたい。
結構たいへんだったけど、思ったとおりになったよ。
叶うものなら、そう報告し励ましついでに一杯すすめて乾杯したいところである。
そんなことを考えつつ、一人二役になったみたいに気分良くビールをあおった。
冬が兆し始めておでんが美味い。
熱燗でしめて晴れやか大満足、席を立った。
飯と来れば続いては風呂。
ネットで銭湯を調べると歩いて10分ほどの場所にある。
ほどよく冷えた夜風に当たりつつ、静まり返った下町の住宅街を練り歩いて、まもなく路地の向こう、煌々と光る七松温泉の看板が見えてきた。
仕事後の男衆らが湯に浸かり風呂はそこそこ賑わっていた。
で、ふと気づいた。
体躯はわたしが筆頭格。
普段ときどき鍛えている成果の賜物。
わたしはぼちぼち頑張ったのだった。
湯場の男衆を上から目線で眺めながら、しかし頭のなか西宮のジムの様子が同時に浮かんで重なった。
そこの男は、筋骨隆々だらけで顔は端正。
わたしなど、おそ松くん極まる存在と言えた。
所変わればレベルも変わる。
世の真実に気づき、さまざまな事例が頭を巡った。
たとえば西宮浜学園の最優等クラス。
学力を視覚化すれば、そこもまた「筋骨隆々」だらけ、いたる所がシックスパックということになる。
虚弱や肥満な頭脳など鼻もひっかけられないから立つ瀬がない。
否応無しにそんな世界に放り込まれたら自身が不憫に思えて仕方ないだろう。
やはり人は身丈に応じて自ら居場所を選び取るべきなのだ。
自らの寸法に至る道筋が幸福への最短コースと言え、間違ってしまうと安住の地を追われ永遠の流浪を余儀なくされかねない。
想像するだに恐ろしいことである。
風呂を上がり、疲れも癒えてカラダ楽々、もと来た道をたどって駅に向かってるんるん歩いた。
駅前のアプローチにクリスマスツリーが飾られている。
一瞬そこで足を止めた。
もうこんな季節、ああ、一年が暮れていく。
幸福と寂寥がない交ぜになったような感情が込み上がり、その胸の内がクリスマスツリーに投影されたかのようであってしばし見とれた。
隣町をぶらりと巡る散策は今後回数を増していくのかもしれない。