KORANIKATARU

子らに語る時々日記

受験はギャンブル

かれこれ5年も前のこと。

ちょうど能開センターが西宮進出を具体化させ始めた頃のことである。

 

灘を目指すαクラスはすでに上本町に存在し精鋭が集められていた。

最終学年も第三コーナーを回ったという時期、αにはちょっと合わない上本町の男子6名がSクラスとしてグループ化された。

 

西宮進出が視座にあったからだろう。

その6名は甲陽の受験を勧められることになった。

 

うちはそもそものはじめから大阪星光が第一志望で一貫していた。

それに甲陽入試の不確実性を知っていたから迷うこともなかった。

 

取りこぼしなく日頃の力を出し切れば大阪星光の合格は堅い。

一方、甲陽の問題は難度高く志願者のレベルも概して高く、だから万一手こずって本番で「見せ場」が作れないまま終わると番狂わせが起こり得る。

 

平素の実力のみならず、その日のパフォーマンスがものを言い、その度合いが大きいから普通はたじろぐ。

よほどの理由がない限り、そんな危ない橋を渡ろうなど思わない。

 

だから当初の予定どおり無難に行くのが無難。

そうわたしは判断したが、なんと5名が甲陽を第一志望に切り替えた。

 

本来なら大阪星光を受けたであろう5名が動いたのであったが、しかし大勢に影響を与える数字ではなかった。

その年、大阪星光は平素より50名も多い804名の応募者を集め、一方、甲陽は平素より50名は少ない344名の応募にとどまった。

 

入試本場で勝ち抜かねばならない相手が50名増えるのと50名減るのとではかかるプレッシャーにかなりの差がある。

 

途中経過の報告がなかった大阪星光の応募者数を新聞で知ったのは、統一試験日の前々日だった。

804名との数字を目にし覚えた恐怖はいまもって鮮明である。

 

そしてはたして蓋を開ければ5人全員が甲陽に受かり、大阪星光を選んだ1人も合格を得た。

 

もしその年、うちが甲陽を受けていたらどうなっていたのだろう。

当時の学力と周囲との比較で考えれば、おそらく通ったのであろうが、しかし実のところは分からない。

 

同様に、甲陽に通った5名にしても大阪星光を受けていれば合格したであろうが、しかしこれも単なる予想に過ぎず、場合によっては彼らどうしで当落を競い合う状況になったかもしれず、結果が断定できる訳ではない。

 

結果を求める全行程のうち、ほぼすべての行程が結果不明のままに置かれてもどかしい。

そこに受験の本質がある。

 

結果不明のまま日々精進し、直前になって応募者数や倍率が判明し、当日はじめて試験問題を目にし、最後の最後、結果に直面することになる。

 

だから、結果論はいつだって気楽なものとなる。

結果が出ていれば後づけで何だって言える。

 

結果が宙吊りのまま留め置かれるから心が揺れて言葉を失い、祈るしかない、ということになる。

 

やはり、受験はギャンブル。

際の際まであらゆる条件が変動し、それらの綾で結果が右に左に揺れ動く。

 

結果を目にするまでの息呑む時間。

しびれ来るようでたまらない。

 

そういう意味でどこも修羅場であることは共通で、だからどちらがどうといった安易で呑気な比較をするなど不謹慎極まりない話と言えるのかもしれず、そもそも結果不明な事柄を並べて比べて導き出されるものなど何もない。

 

あれから5年。

別々の道を辿った5名と1名が、来年、大学受験で相まみえることになる。

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2020年1月15日 息子の弁当

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2020年1月15日昼 奈良公園 リストランテ・オルケストラータ

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2020年1月15日夜 今里 万宝家