KORANIKATARU

子らに語る時々日記

記念写真

たいてい朝は、心臓バコバコになってハッと起き出す。
完遂されるべき仕事達が、デスクへと手招きし、もっと眠っていたいとカラダは抵抗するけれど、何だか分からないまま動悸強まり起き出さずにはいられない。
仕事に着手すべき時刻が迫ると心臓が鳴り出すのだから目覚まし時計など不要だ。
怒り狂うような勢いで仕事を片づけ、あれやこれや取り組んで精も根も尽きた頃、いつの間にやら動悸は収まり、日暮れ時には心安らか爽快感を満喫できる。

心臓バコバコの頻度は、年末に最も盛んになり、そして年々その度合いを増している。
ちょうど街がクリスマスのイルミネーションに彩られ、年の瀬のウキウキかつほのぼのとしたような雰囲気が漂い始める頃、それを遠目に、試練とも言えるような険しい日々と真っ向渡り合うことになる。
渇水期の砂漠を突き進むような、油断許されない総毛立つ日々を乗り越えねばならない。

それだけに仕事をやり終えた後にひたる年末年始の満足感はちょっとしたものである。
アクション映画でこの時期を例えれば、大晦日から十日戎がハッピーエンドの大団円にあたり、クリスマスは、最高にスリリングな見せ場、ハラハラドキドキが間もなく終息する一歩手前の瞬間と言える。

隣家のクリスマスツリーが、磨りガラス越しに火が爆ぜるように煌らか瞬く。
北半球では冬至の時節。夜が長くおまけに寒い。
近しい人が不在のまま過すには少しばかり酷な季節である。
だからこそクリスマスは、身近な人々が集い共に過す必須のイベントとしてこの時期に定着していったのだろう。

今年のクリスマスは実家で過すのもいいかもしれない。

写真の被写体になることをあまり好まない父や母であったが、子らを撮影する際、最近は自ら進んでフレームに入ってくれるようになった。
その積極的な様子に胸が詰まる。

写った自分を見たいためがために撮られる訳では決してない。
そこに写りその瞬間その場面にずっと留まり続けるために「撮られる」のだと、分かる。
写真を通じ、この先もずっと子らの胸の内に居続けることができるという切ない願いのようなものが伝わってくる。

今年のクリスマスは、記念写真をちゃんと撮ろう。
仕事も大事だが、そっちの方がずっと大切なことだろう。