KORANIKATARU

子らに語る時々日記

向かっていけ、と父は言った。

不覚にも風邪をひく。
ここ2、3日急激に冷え込んだ。
疲れも溜まっていたのかもしれない。
風邪を引くなど大の男として恥ずかしい事である。

社長業する方に聞いたことがあるが、健康面と金銭面で絶対に弱みは見せないということである。
そこに問題があると継続的な取り引きや付き合いなどに影がさす。
長期的安定的な信頼関係が少しでも揺らぐとなれば死活問題だ。

日々倹約するのと同様に、地道に体調管理することも仕事人の基本心得と肝に銘じなければならない。

私にとっては心臓破りの師走である。
1年のなかで最もハードで目まぐるしい日々となる。
その序盤で風邪引くなどあってはならないことだ。
何とか回復を図らなければならない。
当日必要となる書類一切合切を作成しつつ、早く帰って寝てしまおうなど思いめぐらせる。

しかしその夜、新進気鋭の若手社長らとの飲み会が入っている。

国家の一大事ではあるまいし飲み会などキャンセルしても構わない、はたまた、男同士約束して風邪ごときでそれを破るわけにはいかない、という両極の考えが浮かび互いを打ち消し合い、いつまでたっても双方の言い分が平行線を辿る。
自分の中のAさんとBさんの折り合いがつかない状態。
AB型の宿命である。

そして、這ってでも行こうと腹が決まる。
以前、複数の人間が集まる飲み会があった。
数々のトラブルが重なり予定の時間に間に合わない。
渋滞にも巻き込まれる。
とても飲み会どころの話ではない。
仲間の一人に連絡して欠席した。

私などおらずとも屁でもない話であり、物理的に合流も難しい。
欠席することについて合理的な状況判断だと理解得られると思ったのであったが、仲間たちからすれば、彼らを軽んじるような不義理に映ったようだった。

約束は守られなければならない。
ちょっとやそっとのことで反故になど、決してしてはならない重たいものなのだ。

阿倍野の田中内科クリニックに立ち寄り、ニンニク注射を受ける。
私の前の患者さんは若い女性だった。
高熱のため一旦持ち場を抜け、田中先生の手当を受ける。
そして仕事に戻って行った。
世の中、風邪くらいで丸まってる奴はいないのだ。

田中内科クリニックでの注射が効いてきたのか、外を闊歩するごとに風邪の症状が和らいでいく。
体内で猛威奮わんとしたウイルスたちをひとひねり押し返す軍勢が体内にどんどこ溢れ出しているに違いない。

会食の場は、島之内の一陽。
一品一品がとても凝っていて食事が楽しい。
お酒もすすむ。
ああ、来てよかったと思える素晴らしいお店であった。
二次会まで参加したが、風邪気味なので大事をとって終電までには退散した。

かつて私の父も、風邪やら何やら体調悪かろうが、仕事の雲行き怪しかろうが、防戦一方の日々であろうが、勢い良く毎日仕事に向かっていった。
父の口癖は「向かっていけ」である。

私もそれを信条として君たちに伝えたい。
こそこそ逃げても始まらない。
蛮勇までは勧めはしないが、向かっていけば何とかなるのである。

父は古稀に達し、いまでは口数も減った。
もし日々折々リアルタイムで父の言葉が残されていて読み返すことができるとしたらこれ以上に価値ある情報はないだろう。
あの昭和の激闘の時代、数々の歴戦の強者の言葉がブログなどに綴られていれば、どれほど後進の者は勇気づけられることか。

家で風呂からあがると、家内がシジミ汁を温め直してくれる。
テーブルのうえの君たちの写真をぼんやり眺める。
スープは熱々だ。
臓腑にしみる。