KORANIKATARU

子らに語る時々日記

今年が始まった

大晦日、父と二人で飲む。
焼酎を飲むつもりの父であったが、私がワインを買って訪れたのでそれに合わせてくれた。
定石通りテレビは紅白を流し、たまに目をやる。

かつて大晦日は親戚こぞって集まりわいわい過ごすようなものだった。
それが家族だけのものとなり、いまや父と私だけ、といった集客の催しと成り果てた。

大晦日が醸し出すじーんとくるような時間への郷愁が時代の推移とともに薄れていっているのかもしれない。
全家族的なものであった意味合いが、個別の感慨を持ち寄るだけの、趣向を同じくする者たちのためだけの日として分断化していく。
単に365日のうちの1日ではないかと理屈では確かにそうだという持論に基づきおのおの自由に過ごす者たちがいまや主流とさえ言えるかもしれない。

父が祖父母存命中の頃の大晦日の様子について話してくれる。
子供だった私の記憶が断片的に当時の空気伴いよみがえってくる。
私にとって大晦日は従兄弟らが集まり何が嬉しいのか分からないが明日は正月だというウキウキ感に胸膨らます格別の日であった。

二人の子を持つ親となったいま、大晦日には別様の感慨を抱く。
父と差し向かい、同趣の何かを強く感じた。
一年を大過なく終えることができたという安堵感のようなものを大晦日の夜、二人の男は交歓しあっているのであった。

向こう岸からこちらの岸辺まで全員無事に渡りたどり着かせることができた。
真剣に生きれば生きるほど、込み上がるものは大きい。
父がほっとしたようなため息をもらす度、全員無事のその「全員」が集まってひととき過ごしたいという胸中の思いが見え隠れする。

大晦日の夜、父を訪ねて本当に良かった。
私などまだまだ若輩であるが、家長同士、通底する思いを共有できた時間はかけがえのないものであった。
胸に刻印された何かがよすがとなり、より一層晴れ晴れと新しい一年に臨むことができる。

母が年越し蕎麦を用意してくれる。
昔と同じ。
私の分量がとても多い。
しかもさらに母の分まで分けてくれる。
いつまでたっても私はこの母にとって子供なのである。

がらがらの電車で帰途につく。
まっさらな一年が、白紙で未知の時間がやってくる。
大言壮語することなく、何が目標だなどと御託も並べず、目の前の課題に真摯向き合って新年も一生懸命仕事に明け暮れよう。
仕事の依頼が絶える事がない。
であればそれに全力取り組むだけだ。
男なのである。
それ以外に一体何をするというのだ。

いま、朝の五時。
元旦から当然に早起きだ。
間もなく夜が明け、平成25年最初の朝が訪れる。
きちんとネクタイをして地元の熊野神社に手を合わせに行ってくる。
日の出直前薄明の時刻、明けの明星を目に焼き付け強く明瞭な柏手を打つ。
それを合図にさあいよいよ今年も幕開けだ。