KORANIKATARU

子らに語る時々日記

子供は子供だった頃(その2)

この劇的な気分の変化によって、学生時代に観たベルリン天使の詩という映画を思い出した。
素朴に良きものを探求し数々映画を観て本も読んだ学生時代であったが、これは屈指の名作だ。
世界が白黒とカラーの対比で描き分けられる。

人々を見守る天使らの視点では世界は白黒のモノトーンで描かれ、人間の視点では色彩を帯びる。
一人の天使が人間に恋をし、彼の世界は物憂い白黒から鮮やかなカラーへと転じる。
作中、朗読されるペーター・ハントケのわらべ唄は、次のように始まる。
「子供は子供だった頃、腕をブラブラさせ、小川は川になれ、川は河になれ、水たまりは海になれ、と思った」

この映画に感動し、ヴェンダースの映画を観るようになった。
U2を聴くきっかけにもなった。
結婚し仕事に明け暮れ、映画を観なくなりU2も聴かなくなって久しいが、私がちょうど20代であった90年代当時の頃の心象が突如蘇り懐かしさに浸る。

30歳と同時に家内と結婚し家族と出合うことになる以前は、ニヒルな白黒の世界から斜に構えて色彩豊かなカラーの世界を遠くに見るような日々であったと総括できるかもしれない。
もっと間近に寄ってみれば、懐かしさの中に潜む真実も見えてくる。
先行き不透明で何の能力もお金もなく乾いて萎んだ日々にU2を注入していたといった様子が浮かび上がる。

極楽てんこ盛りのマッサージを終えた足で、家族をピックアップし西宮の熊野の郷に向かう。
湯が柔らかい上に幽玄な雰囲気に包まれ心からリラックスできる。
家族連れ立って一日の疲れを癒すには格好のお湯場である。

先に湯から上がり男三人待合で家内を待つ。
二男は塾の宿題の続きを座敷で始め、長男ははじめてドリフのコントを観た田舎の子のようにテレビのベタなやりとりに大笑いし、私はiPhoneでベルリン天使の詩続編の主題歌ともなったU2のFaraway, So Close! を聴く。

かつて何度も何度も聴いた曲で、記憶が解き放たれ季節綯い交ぜで数々の場所場面が眼前に浮かんでくる。

スキポール空港からシティセンターに向かう列車の中、博多ラーメン屋に向かって歩いた冬の水道橋駅界隈、全く趣きの異なる記憶が際立って並び立つように思い出される。

ふと目を上げる。
「目を付けられる」とは、整形手術で好みの目を顔面に取り付けられるという意味だと誤解していた二男がいる。
「眩しい」をずっと「まずしい」と発音し、屋外の陽光のなか、まずしい、まずしい、と連呼していた長男がいる。

子らが初めて飛行機に乗ることになった長崎旅行は6年も7年も前の話だが、パパはやせていてママは若く、君たちはハゲ坊主で動かないオモチャの腕時計してそれぞれ真っ赤なシャツとブルーのシャツでおしゃれ決め込んでいた。
最も鮮やか心に残る一枚の写真が心に残っている。
もちろんカラーだ。

今ではカラーの側から白黒の世界を振り返るようになったのかもしれない。

ペーター・ハントケのわらべ唄は、どこまでも印象深い言葉を胸に残しながら、最後にこう続く。
「子供は子供だった頃、山に登る度にもっと高い山に憧れ、町に行く度にもっと大きな町に憧れた、今だってそうだ。
、、、子供は子供だった頃、樹をめがけて槍投げをした、ささった槍は今も揺れてる」

星のしるべ33期らに声をかけ来週久々にチェリーの会を開く。
出欠の連絡で近況告げる一言、二言を聞けることがとても嬉しい。

分け隔てなく皆に集合の合図を報せる。
我々は卒業したけれど、それは一区切りであってエンドの区切りではない。
「ささった槍が今も揺れてる」ように、最後の一人になるまで報せを送り合えばいいのではないだろうか。