KORANIKATARU

子らに語る時々日記

腕時計を買って物欲が寝返りを打つ

腕時計を買った。
別に値の張るようなものではない。
普段使いで肌にフィットし、寝床の暗がりでも時間が視認できる、そんな程度の必要性で買い求めた。

この腕時計が実にいいのだ。
とてもいい。
つけ心地よく気分がいい。

こんなにいいのならもっと買おう、集めよう。
心はそのように動く。

ここで理性が口を出す。
腕は何本あるのか承知かね、一個で十分ではないか。
いつか必要になったときのためにお金は大事に手元に置いておくべきだろう。

普段ことさら意識することはないが、理性のお説教は鬱陶しい。
お役所が示す狭量なガイドラインではあるまいし、肩が凝る。

目覚めうごめきはじめた物欲は、理性の意見をまずは一蹴する。
地上に振り注ぐ原始の豪雨を地上の高温が瞬く間水蒸気にして押し返すように、産めよ殖やせよ、あらん限り世界をこの腕時計で埋め尽くすのだと雄叫びを上げる。

一方、すごすごと引き下がる理性ではない。
分厚い雲となって地表を覆い、再び豪雨となって地表の熱を執拗に冷まそうとする。

普通はこの激しい葛藤状態をとっとと経て、熱は冷め雨は止みさっさと地上に平穏が訪れる。

しかし、中にはこの無限地獄を際限なく繰り返す人もある。

理屈もなにもあったものじゃない欲望を、窮屈頑迷な教条で抑え込もうと、あの手この手で試みるが鍋と蓋のサイズは絶対に一致せず、泣く赤子に説法するようなもの、訳の分からない自問自答が増殖してゆく。
頭は、しっちゃかめっちゃか、火炎放射されたように火照って息も絶え絶え。
恨めしげな目で他者にケチばかりつけている人を見かけたら、欲求不満と抑圧の自家中毒で疲弊し切っているとみて間違いない。

もしくは、理性もへったくれもないと、欲望を大放牧、放し飼いにされた煩悩が野原を駆け回る。
度肝抜かれる程に壮観だ。
どこまでも、何もかもが欲しいので収集つかない。
こういった牧場主が伴侶となれば、これはもう痛ましい。

物欲には寝たままでいてもらうのが一番だ。
かかずり合うと面倒極まる。
寝た子を起こさないよう、せいぜい寝返り程度でなだめてやる。

そのためには、物欲を忘れてしまえる程の何かを見い出しておくのがいいだろう。
これがBGMとして意識に流れていれば、心やすらかスヤスヤ、瑣末で煩わしいことに捕われ悩むということがなくなる。

例えば、おいしい珈琲を一口飲んで、本のページを繰る。
その瞬間、意識が一変し、どうでもいいことが後景へとすっこんでゆく。

そんなような何かが誰にだって必要なのだと知っておいた方がいい。