KORANIKATARU

子らに語る時々日記

御用納めでようやく一息


新年に向けての模様替えとしてMacOS Mavericksをダウンロードし、それに伴いネットの設定をいじりHDDを増設し、2014年版が間もなくリリースされるとの情報を横目にしつつもMicrosoft Office for Mac2011を購入しインストールした。

仕事柄Windowsマシンも常備しているが、馴染んで親しみ覚えるのはMacの方でありそれがこれまで揺らいだことはない。
陰気で不細工で病気がちなWさんと、グッドルッキングかつ親切で明るくいつも溌剌元気なMさんがいて、Mさんの前にばかり座るのは当然のことではないだろうか。

Mさんマシンをリニューアルし、新年からはより一層パワーアップした書類作り環境が整うことになる。


HDDと言えばせいぜい10GBで、電話回線でネットし、データの受け渡しはUSBがもっぱらで、WebメールもなければEvernoteもなくiCloudDropboxなんて想像すらできなかったのはついこの間のことである。

日進月歩どころではない進化のスピードである。

いまや書類稼業者にとっては仕事が楽しくてならないといった程に「利器」が整い、具体的な業務をこれらが今後ますますリードしていくことになる。
なんと頼もしいことであろうか。
道具良ければヘタレなわたしでもそこそこ生き抜けるのだ。


書類屋にとっては、書類の累積がそのまま力の蓄積となり、仕事能力のキャパの拡大となる。
それがDropboxを占める容量で一目捉えることができる。

思えば遠くへ来たもんだ。
携われば携わるほど、このような利器によって、肉体はみるみる衰えても、能力は素知らぬ風に着々と向上していく。

人はやがて訪れる臨終の時に向かいつつ、ますます完成していくのである。


昨日の土曜日、南海線の春木駅で降りた。

だんじり重量モル濃度は、忠岡あたりから増大し春木から岸和田にかけてはほぼ直角のロケット軌道で急上昇する。
奥にまします本丸岸和田の門前に位置するのが春木なのである。

平成25年12月28日1:33pm、電車のドアが開いてホームに降りた。
その瞬間、真後ろで叫び声があがった。

あまりの絶叫であったので言葉としては認識できない。
何か金属でもこすって発生したような音である。

おじさんは扉を掴むようにして絶叫している。
電車は発車できず、何事かと周囲が遠巻きに様子を見守っている。

事の推移を見届けたいが約束の時間を過ぎている。
私は先を急がねばならない。
次第に遠くなる絶叫もだんだん耳に馴染んできて、意味を推察できる程度にはなった。
おそらくは、「なんでやねん」と発しているのであろう。

きっとおじさんはもっと手前の駅で下車する算段だったのだろう。
ところが急行電車は忠岡駅を出た後、いくつもの駅を通過した。
扉が開き降りようとする、しかしそこは意中の駅のホームではない。
それでおじさんは、「なんでやねん」と春木の中心で叫び続けたのだ。

作り話だと思うだろうか?
本当のことである。
関西では何が起きようが不思議なことなど何もないのである。

付け加えるならば、帰途の南海線では、前におばさんが座り、買ったバナナのシールをいくつもはがし、それらが下に落ちるに任せていた。
遠く見知らぬ大地に降る雨のことなど誰も気にしないように、南海線の車両に花片のように落ちるバナナのシールのことなど誰も気にも留めないのであった。


南海線での帰途、途中で阿倍野正宗屋で一人忘年会とも考えたが、食材買って家で食事することにした。
買い物の場所を思いめぐらせ、南海線終点難波で降りて、やまやへ向かった。
目に付く品々を片っ端からカートに放り込み、買物袋で両手ふさがるほどに買い込んだ。
喜ぶ家族の顔が浮かぶ。

この程度の重さなどへっちゃらである。
家で待つ家族を思えば、むしろ底力すら湧いて更に活気だってくる。

かつて行商にいそしんだ祖母が背負った荷はこんな程度ではなかったはずである。
家路に向かいつつ、そのようであった祖母の姿を何度でも思い出さなければならないと自らを戒める。
祖母の孫なのだ、浮かれてバカになってはいけない。


帰宅する。
さあ、食事だと兜を脱いだところ、買った品々についてNGが出された。
何故なのだろう、気がついたときには元来た道を戻っていた。

大昔に見たニュース番組のことを思い出しつつ事務所に戻る。
日本向けに輸出する松茸を集める外国人の様子を伝える特集であった。

一人のじいさんが松茸持ってきたよと満杯のズタ袋を持ち込み買い取ってよと嬉々満面やってくるが、しかし中に入っているのは松茸とは似ても似つかない怪しげなキノコであった。

それは松茸じゃない、とつっけんどんにバイヤーに告げられたときの、じいさんの失望の表情が忘れられない。
表情の着地点を見失ったかのような、じいさんのうつろで頼りない表情が何年経っても目に浮かぶ。

私自身が、人の失望に着眼してしまう性格なのだろう。
ガックシきたときの哀れな表情が瞼に焼き付いてしまうのだ。

事務所近くで風呂に入り、東横インにチェックインした。
一泊5,980円。
これだと夜遅くなった場合、タクシーで帰宅するより時間的にも経済的にも遥かに合理的だ。


健やか目覚めて、事務所入り。
1分かからない。
年の瀬29日の日曜日も快調な滑り出しである。

朝一番、酒屋に寄って正月挨拶用の日本酒を3本買った。

よくよく考えれば御用納めが終わったところで、これから掃除もあり、年明けの仕事の支度もある。
忙しさは、日頃と何も変わらない。

仕事クローズ時のヒリヒリ感がないだけで、これだけ穏やかな心境となれるのだ。
必死に取り組む仕事と肩の力抜いてこなす業余とでは天と地ほども異なる。
いつかそれらが重なるような境地を見いだせるだろうか。

幾組もの家族連れが帰省のため駅に向かう。
皆が皆、いったん帰るところに帰り、新年を迎え、心気回復、新しいスタートに臨む。
年の瀬はポジティブな再生の予感に満ちている。
この雰囲気が実にいい。