KORANIKATARU

子らに語る時々日記

次の15年に進み始めた。


駅に到着した途端、断続的に降り続いた豪雨がぴたりと止んで、晴れ間が広がった。
迎えのクルマを呼ぶことなく歩いて向かう。
大量の打ち水がふんだんに散布されたようなものである。
顔面軋むほどに容赦なかった熱暑のなかを涼が舞う。


待ちかねたと言わんばかりに手で差し招かれ、隣席に腰掛けるやいなやビールが注がれ、口つける端からさらにビール注ぐ態勢となるものであるから、天を仰ぐみたいに直角でグラスを傾け飲み干すことになる。

そのように、義父に注がれるままかけつけ1杯どころかたちまち大瓶4本は空けただろう。

そこへ家内が白ワインを注いでくる。
動物園の珍獣にエサやるみたいに、私はアルコールを左右からクロスで注がれる。


おかげさまで結婚15周年となりました、とこれまでかけた心労などについての謝意を行間には漂わせつつも明瞭には口にせず、わいわい賑やかはしゃいで飲み続け、心のうち、瞬く間に過ぎたこの15年、特に、私自身が登場人物となる数々の幕間のうち、いままさにたたずむこの幕間での15年をしみじみと振り返る。

ここを訪れ15年、そもそもの初めから今日と同じく寸分たがわぬやり方で、ビールをお見舞いされる歓待を受けてきた。
だから決まってここを訪れた15年の歳月のすべての翌日は二日酔いとなり不調な時間を過ごすのであるが、この動物園の珍獣は学習能力がないようで、飼育係の思うがままがぶがぶと15年変わらずビールを飲み続けてきたのであった。


15年と言えば短いようではあっても、ほんの小さな赤ん坊がいっぱしの男子として兆し始めるくらいに見応えにあふれた分厚い期間でもある。

うちの長男や二男がちびっ子であった当時の義父の姿を思い出す。
いくら孫が狼藉働くならず者であっても、それに触れてきた15年は楽しいものであったに違いない。

単なる風景画なら倦んだとしても、登場人物があれば目が離せない。

これはうちの父にとっても同じだろう。
老境に差し掛かる時間の流れに、それとは裏腹、何とも元気、系譜の先に炸裂するかのような孫の生命のほとばしりを感じることができるのであれば、老いの寂寥も雲散霧消するというものであろう。


案の定、三連休最終日は、悲惨な二日酔いに見舞われた。
明け方頭痛で目覚める。
横になろうが縦になろうが、痛みは強まるばかり。

ロキソニンを探すが家にない。
事務所にはある。
ロキソニンに一縷の希望を託すような気持ちとなる。

しかし気持ちが悪過ぎて運転などできそうにない。
カフェインが頭痛を軽減するかもしれないと冷蔵庫のアイスコーヒーをがぶ飲みしてみる。
しかし頭の八方から押し寄せる痛みの波状攻撃はゆるむことがない。

始発まで持ちこたえ、勇気を振り絞って立ち上がり、駅へ向かう。
冷や汗が首筋をつたう。
肌寒く、歩いても歩いても寒気が増してくる。

駅は行楽に向かう楽しげな一行で埋め尽くされている。
その景色自体が、夏の風物詩そのもの。
いつもなら旅情かき立てられるところであるが、今日ばかりはそれどころではない。

嘔吐感だけでなく頭痛、そして、お腹まで痛くなってくる。

大阪駅から環状線に乗り換え事務所目前であるが、最後に訪れた苦難はなかなかに手強く、なす術無いままただただこらえる。
意味もなく車内を歩く。
ああ、もうだめかもしれない。

事務所に到着した時にはまさに限界であった。
持ちこたえられたのは奇跡という他ない。
2014年、海の日の奇跡。

事務所ですぐにロキソニンを飲む。

これで苦痛は軽減されるだろうが、しかし今日一日仕事にはならないだろう。
椅子にもたれて、ぼんやり読書して過ごす。


午後になって、我が家水泳部キャプテンから招集がかかる。
泳ぐなんて無理だと思うが、それすらもなければ私の2014年海の日は「無」で終わる。

零封喫するわけにはいかない。

這うようにして待ち合わせ場所に向かい、キャプテンのクルマに乗せてもらう。

三連休最終日の夕刻、プールはがら空きで、コースを1つ丸ごと家内と占拠して微睡むように脱力したまま45分泳ぐ。
泳げば泳ぐほど、酔いが抜け、水をかく力が増してくる。

泳ぎ切り、体調はすっかり本調子に戻った。
そのまま上方温泉一休に向かい湯につかり、アルションでクレープ買って二男を塾でピックアップする。

キャプテンのおかげで、一日を「無」とせずに済んだ。


前々日、模試を終えた二男を迎えに行き、故郷の祭りを見物して神社で手を合わせてきた。

帰りの電車で、二人それぞれiPhoneで音楽を聴く。
時折、相手が何を聴いているのか、互いのiPhoneをのぞき見る様は、まるで恋人同士のじゃれあいのようである。

そのように1シーン1シーン、充実の度を深めながら、新しい15年が形作られて行く。

次の15年、両親、義父母はじめ家族皆が健在で、子らは最強屈指の男衆へと成長し、そろそろ伴侶と出会って身を固め、私は老境にさしかかる空白を孫の息吹で彩ってもらい始めることになる。

そんな風になると思えば、きっとそのようになる充実の15年であろう。