たかおか歯科クリニックは、尼崎の大物駅に隣接する。
高岡院長は、星光33期同期であり、音楽の歌唱テストを一緒に歌った仲でもあり、家も西宮で近所、そして何より名医である。
歯学部では日本一、名門国立の東京医科歯科大学卒、後進の指導にもあたりつつアメリカで最先端の技術について研鑽積み、もちろん、現在進行形でその学識と 技量を高め続ける誠実実直な歯科医師である。そのような先生が、尼崎大物の一隅で静か佇み地域医療に携わっているのであった。
星光建学の精神、星のしるべの教えをまさに実践していると言える。
歯科医師あまたあれど、名実備えた数少ない名医の一人に数えられるだろう。
高岡先生自身はそのような言を遮って謙遜するだろうから、私がことの真実を強調しておかねばならない。
高岡先生には、8年越し悩まされてきた親不知を抜いてもらった。
高岡先生が近所にいることを知らず、親不知の鈍痛とともに、口内右奥の違和感とともに、寝起きし仕事し家族と過ごし、暮らしてきたのだった。
数々の歯医者を訪れた。
近所で腕の立つと噂の歯医者で院長指名で診察も受けた。
しかし、どの先生も結局は抜くことを躊躇い、抜く必要がない旨さえ説明し、そして親不知を磨く為の歯ブラシを処方してくれるのだった。
いま思えば子供騙しもたいがいにしれくれよ、といった類いの話である。
たまたま高岡先生がこっちに戻って開業しているという消息知って、早速、たかおか歯科クリニックを予約し訪れた。
診るなり、「抜きましょう、よく我慢してきましたね。少し厄介な抜歯になるかもしれないので、日時決めて準備万端の備えをします」。
間髪入れない即断であった。
我慢してきたのではない。誰も抜いてくれなかったのである。
抜歯の日、生来こわがりの私は、抜歯の際に口内で繰り広げられるあれやこれやを思い浮かべ、卒倒すれすれの体(てい)で、予約時間の到来を忌避しつつ、たかおか歯科クリニックに向った。
心の準備も整わないままであったが、高岡先生の指示に従い、あれよあれよと診察台で口を開け、親不知についての様々な症例について話を聞ききながら、そして、いつの間にか抜歯は始まり、そして、終わっていた。あっと言う間であった。
積年の親不知2本が目の前に差し出された。
全く痛みを感じなかった。
抜歯後、高岡先生の東京時代の様子や家族のこと、地域での仕事ぶりについて話を聞きつつ、その界隈を高岡先生と一緒に歩いたことをしみじみと思い出す。
その後、口内はすこぶる快適であり、快適さを反芻し味わうその度、高岡先生に感謝の念が湧く。
現在では、家族揃ってお世話になっている。
高岡先生の心根の優しさを感じ取ったのだろう、子らも高岡先生が大好きであり、その仕事ぶりから、仕事の何たるかを無言のうち学び取っているようである。