昨夕仕事後、短パンとハイカラチェックのシャツに着替え親父と飲んだ。
帰途、JR神戸線に乗る。
列車最後尾にもたれて、ふと乗客を一望する。
白のシャツ、黒の肩掛けカバン、紺のズボン、皆が皆同じような格好でうつむき加減でつり革につかまり、合わせ鏡で像が無限に連なるように、おじさん達の列が左右対称に並んで奥の奥まで続く。
「疲労」を絵にすればまさにこのようになるであろうと息をのみ写真取ろうとしてやめた。
日中の熱暑で皆一様にぐったりした模様であり、お盆明け初日であったとしてもこの疲労感は並大抵のものではなくそれを撮影するなどいくらなんでも悪ふざけがすぎるだろう。
今朝の朝日新聞耕論に「こころの定年」という話が載っていた。
実際の定年に至るはるか前、40歳前後で組織に属する意味を見失い「こころはすでに定年」となってしまう方が増えているという。
「こころ」ここにあらずで、列車に運ばれる。
どこからどう見ても重苦しい。
仕事はつらく世間は厳しくどう言い繕おうが世の中そんなにいいものではないとたちどころに理解できてしまう光景であった。