KORANIKATARU

子らに語る時々日記

大阪星光学院33期夏会2014


場所は四天王寺のワッシーズ。
数日前から暑さ和らぎ、秋の空気を肌にありありと感じる夕刻6時。

冷えたシャンパンが総勢二十有余名のグラスに注がれ終わったとき、

「薬局が変われば地域医療が変わる」の狭間研至による乾杯の音頭で、2104年大阪星光学院33期夏会が始まった。

これまで断続的に行ってきた飲み会であったが、ここ数年は別途集約的に夏会そして冬会として大所帯の飲み会が恒例行事となった。

皆に連絡し日程を調整し当日に会計までしくてれる会計士の清水章夫の貢献するところ果てしなく大きい。

乾杯のあとは裃などどこへやら、はだけ乱れて、十代の頃の言葉遣いが十字くるくるクロスし行き交い続ける。
調度品最上級の名店ワッシーズでさえ、黒姫山荘や南部学舎の食堂へと変貌すること免れない。

他愛のないようなこと、何度も聞いたような話を性懲りもなく聞いたり話したりしつづけて、

そして、私達は、当の十代の頃より遥かに明瞭にこれら仲間たちが大事なものであると口には出さずその実感を深め合うのであった。


この日、ワタルとは27年ぶりの再会となった。

記憶の断片に残るワタルは、ちょっとやんちゃでやさぐれ感漂い、反逆的とまでは言えないまでも、やはりそれほど行儀よくなく学業についてもなあなあなといった感じの男子であった。

そのワタルが見違えた。

我が国必須の化学技術に関して欠かすことのできない人物となっていた。
数多の特許技術にもその名が連なる。
さすがに星光生。
はたせるかなその分野において、ちゃんと星の光、地の塩としての役割を担っているのだ。

星光においては、当初から勤勉に励みそのまま鉄板の勤勉さで厚み増し続け地盤強固にし続ける人間が大半を占めるが、なかには、出だしで斜に構え、しばらくそのまま斜に構え、学校出た後で我に返って本気だす、という後発ロケットタイプも多く見受けられる。

いくら斜に構えていても星光の仲間らのなかで揉まれてきたのは確かなことであり、だから本気の出し方も血肉に刷り込まれていてる。
結局は「帳尻」が合うことになる。

実際、ワタルは死ぬほど、本当にそのようにしか形容できないほどの凄まじさで猛勉強することになった。
辛い時にはいつも星光の仲間の顔を思い浮かべた。
その度、力づけられ、勇気が湧いたという。

後から振り返れば、全員が全員、大した奴なのであったという気づき方ができるこのような飲み会は、卒業というエンドロールが終わった後の、オマケ映像に触れる鑑賞会のようなものだと言えるだろう。

そして、「オマケ映像」の方がはるかに面白い。


5〜6名ずつの各班に分かれて四天王寺から二次会行われる上六の和民に向かう。

一人一人に座席あてがわれた一次会とは異なり、ぎゅうぎゅう詰めで地べたに座って卓を囲む。
雑魚寝して皆で飲むようなくつろぎ感がとても楽しい。

隣席の阿倍の話が興味深い。
芦屋の阿部レディースクリニックの院長である。
皆、話に引きこまれていく。

レディースクリニックは出産や美容だけでなく女性の健やかな日常をサポートする役目を担う。
その中で生理の負担を軽減するケアについては需要も多く、今後の社会情勢を考えればますますきめ細かく女性の立場に寄り添った対応が求められる。

生理というのは、赤ちゃんを設けることのできるベッドが胎内で準備されるようなものであるという。
結構大掛かりなことであり、だから生理は回数を経るごとにカラダへの負担を増していく。

一方で、社会において女性が担う重責の度合いは増すばかりだ。
女性に寄り添う側にあって阿部院長はそれを痛感する日々だという。

働き手の実数が先細る中、労働力として今後女性は不可欠な存在となる。
安部首相も今後の趨勢を見越して女性登用を促す法整備を進める方針を打ち出している。

そのような背景と連動するかのように、身近なところでは、関西において女子生徒の受け入れを始めた難関男子校が増えている。
何も少子化を睨んでの生徒集めだけが学校の思惑であるようには思えない。
女子を対象とするハイレベルな教育の需要が相当に高まってきている機運を感じる。
これは、阿部院長が日頃接する来院者との話や様々な会合で受けてきた実感である。

女子力高めてええとこのお嫁さんになればいいとおおらか考える母親なんてほとんどいない。
意識が高ければ高いほど、娘の教育により良きものを強く求める傾向が見られる。

そのような需要があるからこそ、かつては神戸女学院や四天王寺くらいしか難関女子校がなかったのに、ここのところはそれらを凌駕するレベルの学校が生まれ始めているのだろう。

芦屋において果たす阿部レディースクリニックの役割がとてもよく理解できる話であった。

女性が社会の前線に出ることが多くなればなるほど、女性がいかんなくその能力を発揮し活躍するための後方支援の役割をレディースクリニックが担っていかねばならないことになる。

その他、38歳を過ぎての高齢出産などについても興味深い話をたくさん聞いたが、書くと長くなる。
続きは阿部レディースクリニックで。


誰からであったかこの二次会で、星光についてのエピソードを耳にした。

星光出身者の家族が病気になり、市井の診療所では手の施しようがなく彼は家族を連れて神戸大医学部病院にすがった。

担当医は星光出身ではなかったが、担当医の周囲には何人も星光出身の医師がいた。
担当医からみてそれぞれが敬意表すべき素晴らしい医師たちなのだという。

星光、というつながりを介して、彼は担当医と打ち解けることができ、コミュニケーションを深めることができた。
星光ということで得られる信頼感のようなものをこれほど感謝したことはなかった。

タローやタケトー、スミキンやミキ、イケダ、医師としてとびきり優秀でありながら露も驕らず出しゃばることのない神戸大出身の星光33期らの顔を浮かべつつその話を聞き、いい話なので皆にも紹介しておこうとここに記しておく。


誰も止めなければそのまま朝までわいわい飲むようなことになっただろう。
12時は過ぎぬよう章夫が店に締めの合図を送った。

上六ハイハイタウン前、ソウが一本締めし、2104年夏会は終わった。

その後で島田智明が輪の中心となってあれやこれや話していたが、これは当夜のエンドロールみたいなもの、と言えるだろう。


今はたまたま疎遠となった星光33期の仲間のうちこのページを通りかかった人があれば、即断即決メールアドレス教えてください。
次回から案内送ります。
夏会、冬会で会いましょう。