KORANIKATARU

子らに語る時々日記

善き人のいる町


一昨晩は「とり花」、昨晩は「たくみ」で夕飯を済ませた。
ともに甲子園口にある焼鳥屋である。

「とり花」は通りかかって偶々訪れた店だが「たくみ」の方はかつては連日のように通った店だった。
当時一人飲みするとなればもっぱら「たくみ」であった。

大阪市内で長時間過ごすようになってからは足が遠のいた。
なにしろ大阪においては飲み屋は星の数ほど。

昨夜、かれこれ3年ぶりに訪れたということになるだろうか。

「とり花」も美味いが「たくみ」は筋金入りで美味い。
甲子園口駅最近接の場で伊達に半世紀近くも店を構えてきた訳ではない。

白髪の先代の姿は見えなかった。
隠居されたのか、もしくは何かあったのだろうか。
先代健在の頃はその無言の威圧感の影響か、表情の固かった二代目であったがずいぶんとほぐれた表情になったようだ。
店の主として温かくお客をもてなしている風にみえる。

客層も昔から変わらずいい感じである。
仕事帰りの善良な方々がちょっと寄り道し機嫌よく一杯ひっかけていく。
この店をのぞけば地元の穏やかで朗らかな雰囲気がとてもよく分かるだろう。


帰宅後、「マイネーム・イズ・ハーン」を観る。
インド映画だ。

アスベルガー症候群だと周囲に公言して憚らない主人公ハーンがインドからアメリカに渡ってくる。
アメリカで成功した弟夫婦のもとに身を寄せ、弟のビジネスを手伝う。

ハーンはセールス文句を空で暗記し美容室などを戸別訪問し化粧品を売り込んで回ることになった。

そして一人のインド人女性と出会う。
彼女はアスベルガーであるハーンに対して蔑んだような態度を取らない。

彼女の子である少年もハーンを慕うようになった。
心からの愛情が通じ二人は結婚する。

イスラム教徒がヒンズー教徒と結婚するなど許されることではないとハーンの弟は強く難を示したままではあったけれど、ハーン一家の幸福な暮らしが始まった。

しかし、911事件が起こり全てが一変する。
イスラム教徒への強い差別に抗えず家族が瓦解していく。

ちょっとあんまりだという顛末は見ていて苦しくさえある。


ハーンはかつて母に教えられた。
イスラム教徒が善い悪い、ヒンズー教徒が善い悪いではない。
世の中には善い人と悪い人がいるだけのことである。

映画は市井の「善き人」にさりげなく焦点を当てながら展開していく。
一貫して根っからの「善き人」ハーンとそれら市井の「善き人」が交流し、善き影響を与え合っていく。

この「善き流れ」のブースター効果で観る者の心はすっかりキレイに洗われる。

映像に映る「善き人」は、画面のこちら側、我々のまわりにもそこら中にいる。

そのような人物の顔が浮かび、あまりに当たり前に接してきたけれど、それがどれだけ人として尊ぶべき美点であるか、映画によって学ぶことが出来る。

インド映画特有の荒削りはさておき、この学びのプロセスは涙なしでは済まされない。

主人公ハーンは子供の頃から修理の天才だった。
旅をしながら彼はダンボールの切れ端を掲げる。
そこには、「Repair almost anything」と記されている。
何かを直し、それで食べつなぎ旅を続けるのだ。

見終わった後になってふと「Repair almost anything」の意味が腑に落ちる。
治されたのは私であった。

「善き人」は日夜各地で今も世界を修復し続けている。


感動の涙も乾かぬ寝入りばな、目の前の公園から男女入り混じった下卑た嗤笑が散らかったように鳴り響く。
遠慮も何もない。
夜中2時過ぎがどのような時間なのか、彼ら彼女らは理解できていないようである。

下品な笑いは垂れ流され続け、何かの合図で爆竹まで鳴らし始めた。

癇癪起こしてここで公園に駆けつければ今のご時世何をされるか知れたものではない。
爆竹に祝福されてサタンへの生贄にされては人生に悔いが残る。

やがてこの愚かしさも止むであろうと辛抱するが、3時になっても一向に収まらない。
やむなく警察に電話した。

そしてこのような場合決まって警察が駆けつける前に、彼ら彼女らは何事も無く引き上げていくのであったが、このときは警察が間に合った。

警察が話しかけても、しかし彼ら彼女らは知らぬ存ぜぬ、何もしてませんの一点張りであった。

私は窓から真夜中の公園の空虚を見下ろす。

彼ら彼女らにとっては警察など薬にもならない。
ちゃんと背中でものを教えてれくる「先代」か物事の道理を諭してくれる「善き人」の存在が必要なのだろうが、そのようなお手本が存在しない公算大である。

彼ら彼女らの周囲には彼ら彼女らしか存在せず、お手本が低きへ低きへと渦を巻いていく劣化していくだけなのだとしたら、これはもう薄ら寒いことである。

カーテンを締め私は布団にもぐりこんだ。