1
信号待ち。
松屋から出る人物に目がとまる。
知った人だ。
見つからないよう目をそらす。
あの場面がよみがえる。
まさにこの場所、この信号待ちのところから鮮明に記憶が残っている。
6月になったばかりの朝の出来事であった。
2
明け方の交差点、人っ子ひとりおらず、クルマの影もない。
ここを右折しすぐ左に入れば駐車場だ。
月末の締切仕事や昨年夏からの大仕事がやっと昨日で片付いた。
今日から積み残しの仕事や対応保留となっていた仕事をがんがんこなそう。
心機あらたに臨む朝であった。
右折の矢印が信号機に灯り、ゆっくりと右折し、そして左折する、、、。
が、突如そこにバイクが現れた。
どこから現れ出たのか心当たりが全くない。
いつのまにか私の左側にバイクがいて、私はそのバイクの存在を認識することなく左折のハンドルを切ろうとしていたのであった。
バイクのおじさんが、大きく口を開け、驚愕の顔して私を凝視し目で何か訴えている。
「おいおいおいおい」
目はそう言っているように見えた。
3
静止画のように、いまもその表情が目に浮かぶ。
不幸中の幸い、スピードも出しておらず、バイクに気付いてすぐにブレーキ踏んだので、「接触した」という程度で事なきを得た。
それでもバイクの車体にはクルマが擦った傷が残ってしまった。
クルマを脇に停める。
おじさんは私に食ってかかる勢いであったが、クルマを降りた私を見て気が変わったようだった。
警察が来る間、両者無言で過ごす。
道路向こうの立ち食いそば屋の店主が興味深げにこちらをみてことの行方をうかがっている。
15分ほどで警察官が2人やってきた。
時計を見ると4:55。
物損か人身か、と問われ、バイクのおじさんはとりあえず事故証明だけとれればいいのだろう、物損だと即座答えた。
警戒心が解けひとまず胸をなで下ろす。
ピンピンしてるのにのたうちまわって救急車を呼ぶような相手でなく助かった。
テキパキと警察が検分を終える。
私はおじさんに謝罪し連絡先を交換した。
4
その夜は帝塚山の源氏で友人らと一席囲む予定であったがキャンセルし、お相手の自宅まで謝罪に向かうこととした。
延々と電車に揺られ大阪北部の駅に降り立った。
すでに辺りは真暗であった。
さらに延々と歩いてようやく辿り着き、現在の様子を伺い事故について謝罪した。
ご迷惑おかけしたと心ばかりの封を渡した。
今思うと、こちらが恐縮するくらいに丁寧で心ある応対をしてもらえたと言えるだろう。
重苦しい雰囲気になることもなく、相手は被害受けた側ではなく、まるで諍いを仲裁している立場の人がするような言葉遣いであった。
「まあまあまあ、大過なく幸いでした。今度から気をつけて下さいね」
5
以後、より一層の注意深さをもって運転するようになった。
私にとって最も肝が冷えるのは、接触する瞬間までバイクの存在に全く気づいていなかったということである。
信号待ちの際、必ず周囲見回すし、ハンドル切る際には左右を確認する。
あのとき、少なくとも接触する寸前まで、バイクは存在しなかった。
見えない存在というものほど掴みどころないものはない。
それを反省し対策するとなると、「もっとこまめに何度でも見る」という神経質なくらいの心掛けに行き着くしかない。
振り返って想像するに、信号が変わって私が右折しそして左折したとき、バイクは私の後方の死角に入ったまま少し遅れて右折し、そして、私の車両の左側に俊敏な動きでもぐり込んだのであろう。
バイクのエンジン音でその気配に気づきそうなものだが、いくら記憶をたどっても、あの日はもの音一つない静かな朝であった。
6
いつだって惨事と隣合わせ、そのような恐怖感を忘れず細心の注意払って運転するしかない。
想定外の動きするバイクはもとより、その他自転車や歩行者なども含めて、いつ何時どこにどう出現するか分かったものではない。
ハンドルを握った瞬間、命撃ち落とすミサイルのボタンに手をかけたようなもの、そう思うくらいでちょうどいいのであろう。
大過なくて、本当によかった。
この気持ちを忘れないようにしたい。