1
仕事後、助手席に二男を迎える。
塾が休みとなるのは久しぶりのことだ。
望みをきいたところ、風呂にゆっくり浸かりたいという。
その様子を思い浮かべる。
露天に星空、肩並べ波打ち揺れる親子舟。
悪くない。
意気投合となった。
上方温泉一休へ向かう。
43号線を進み伝法六丁目で左折する。
ここが始点となって、此花通りが海に向かって西へと延びる。
曇天の日暮れ時、色彩のない情景のなかクルマを走らせる。
住宅の連なりが、見渡す限り工場地帯という風景へと変貌していく。
更に西へ進めば大阪北港に突き当たるが、その周辺にはひと気少ない重機置場や工場建物が混在し、昼夜問わず大型ダンプが唸るように疾走している。
晴れであれば土煙が天高く舞い上がり、雨であれば泥の飛沫があたり構わずはじけ飛ぶ。
そこまで到達する遥か手前側に上方温泉一休は位置する。
道後温泉と同様の泉質だということで、またUSJからも至近ということで観光コースにも組み込まれている。
駐車場に観光バスがあったときは、ハズレの日。
堪え難い程の混み具合となる。
2
途上での信号待ち。
二男が珍しいものでも見つけたように言った。
通りのガソリンスタンドが賑わっている。
目をやると複数のスタッフが走り回り声を出し、車列も絶えることがない。
確かに活気に溢れている。
生まれてこの方これほど活力に満ちたガソリンスタンドを二男は目にしたことがない。
世紀をまたいでガソリンスタンドは斜陽で在り続け、法改正でセルフ給油が認められてからは、さらにその右肩下がりが加速した。
とめどないほど多くのガソリンスタンドが閉鎖に追いやられ、運良く残存したとしても町外れの空き地みたいに閑散と寂れた雰囲気となっていった。
しかし、ここ此花通りのガソリンスタンドは、生気を放っている。
ガソリンスタンドが雨後の竹の子のごとく増え続けた昭和の当時の勢いをそこに幻視するかのよう。
時間は順序よく流れその後で一斉に消えていくのではなく、不均一に交錯する。
平成26年に昭和の光景があってもおかしくはない。
3
営業スタイルが抜きん出て優れいている。
だから逆風ものともせず繁栄を謳歌できている。
そういうことではないだろう。
この通りは、大型車にとって船着場へと続く一本道みたいなもの。
船乗りが波止場近くでとりあえず一杯ひっかけるみたいに大型車はここで必ず給油する。
そのようなことに違いない。
周辺のガソリンスタンドが閑古鳥の巣となるのを余所目に、ここは何もせずともクルマが鈴なり訪れる。
要は、そこで開業したことが幸いしたという話だ。
企んで計算どおりに運ぶものでもない。
人知を超えた話であって、これを一言、運という。
4
世の中、運でしかないことに因果の手垢をつけすぎる輩が多すぎる。
このガソリンスタンドのオーナーが成功のノウハウを伝授したところで、汎用性などないと誰にでも分かる。
同様に、ほとんど全ての成功譚は、他人にとっては無用の長物。
役に立つような気はしても、役に立つことがない。
ほとんどは運であり、この世のほとんどは運が取り仕切っている。
まずはそう厳粛に受け止めなければならない。
何とかすれば何とかなるなど、恐れ多いにもほどがある心得違いと言えるだろう。
例えば、頑張っても身長2mになれるものではない。
自らが授かった寸法は、そもそもの最初から決まっているのである。
2mを夢見てもはじまらない。
その寸法は寸法として、その寸法のなかで、やっていくしかない。
そうすれば180cmが180.2cmになることはあるかもしれない。
ノギスで測る「本尺」の数値はどうにもならない。
人知が及ぶとすれば、誤差の範囲を計測する「副尺」の刻み程度であろう。
本尺を思いのままとできるかのような嘘八百の与太を撒き散らす噴飯とそれを真に受け見よう見まね真似する吃驚仰天が世を覆う。
毒されないため君たちは「身の丈、身の丈」と何度も自らに言い聞かせることである。
それが、身のためだ。
ビッグスターや大富豪に、世紀の二枚目や大天才になろうと思ってなれるはずがない。
親を見ればすぐに分かることである。
君たちにできるのは、例えば、朝早く起きること、手が空いた時間に勉強したりカラダを鍛えたり、何の変哲もない誰にでもできるようなことを続けることだけである。
できることを、真面目にコツコツ続けることだけが、できることなのだ。
できることを続ければ、そうすれば両親通じて神様から与えられた100の力が、100.5や100.8にはなるかもしれない。
これでも十分にアメイジング、素晴らしいことである。
後は運。時の運と巡り合わせの運次第。
間違っても200になろうなどとは思わぬことである。
いつかすってんころりん、200どころか目減りして運まで逃げるということになりかねない。
多分、運というのは、「身の丈」わきまえた謙虚な精神にこそやってくるのだろう。
もし運に恵まれなくても、「身の丈」わきまえた精神が備われば、幸福についてはお釣りが来る、というのは確かなことのようである。
5
湯から上がり、「鮮や丸」に向かう。
ここでなら二男も着流しくつろいで、カウンター越し注文できる。
板前さんと二男が筋肉マンについて話すのを聞きながら、私はサンマの造りをつつく。
待ち合わせの時間はとっくに過ぎている。
戸が開き、ようやく家内が現れた。
やっとこれでささやか宴会を始めることができる。
ビール、瓶で。
ビールで一日を締め括る。
素晴らしきかな、人生である。