KORANIKATARU

子らに語る時々日記

ウイスキー飲んで良き出合いに目を凝らす


一杯飲もうと家内を伴いワインバーに向かうがあいにく休業日であった。
それで駅南口近接のバーに入った。

家内がグラスワイン、私は店主お勧めの「シングルモルト」のロックを注文する。
今まで味わったことのないような風味、清涼な甘みが心地よく臓腑に沁み渡る。

薦められるまま他のものも頼む。
なんと奥深いことであろう。
種類変われば、ガラリ風味が変わる。
世界は広いのだとシングルモルトで知らされる。

閉じた日常のループに納まり返っていれば、触れ合うことすらない世界が存在している。
駅の近くであってさえ、少し目先を変えれば、違った出合いに恵まれるのだ。

スコッチ・ウイスキーの豊穣な世界でたゆたいつつ、お勘定してもらう。
どの一杯もサントリー角瓶程度は軽く上回る値であった。


私は自らの未熟な愚かしさを懐かしく振り返る。
15年前、せっかくスコットランドくんだりまで出かけたのに、ビールばかり飲んでいた。

アホである。

少し頭を働かせれば、そこで嗜むのはスコッチだと分かるようなものではないか。
彼の地においては命の水、民族の魂とでも言うべき存在。

それに見向きもしなかった私は、デートで手も握らないようなピント外れなアンポンタンであったというしかない。

旅こそ一期一会。

触角を鋭敏に、そこで感受すべきものを余さず感受しなければならない。
命短し、たすきに長し。
今後は是非ともそうしなければならない。


「天使の分け前」という映画のなか、スコッチ・ウイスキーを利き酒し品評するシーンがある。

表現の限りを尽くした言い様でウイスキーが語られる。
映画を観たときはそれを大袈裟に感じたものであったが、実際に味わえば、文字通り腑に落ちる。

全ての語彙と五感を動員しなければ、あの深さを言葉に還元することはできない。


この映画の主題は、ウイスキーを媒介にした「出合い」にある。

労働者階級のゴロツキの青年が、人物と出合い、自らの才能に出合う。

貧困層からの目線と仕方で金持階級の鼻を明かすエンターテイメント要素もこの作品の魅力ではあるが、最も痛快なのは、何の取り柄も将来の展望もないはずの主人公が自らの天賦の才に開眼するところであろう。

何がきっかけとなるか、誰がキーマンとなるのか、分かったものではない。

可能性が隅々まで張り巡らされた世界に私たちは生きている。
映画によって前途が照らされ、その可能性を信じようという明るい気持ちになることができる。

そして、ラストシーン。
これぞ人間という粋な計らいに、ほっこりさせられる。
そうそう、人間だもの。
こういう気持を忘れちゃいけない。

ウイスキーが更に美味しく、また、これから数々訪れるであろう出合いが楽しみでならない。
そんな気持ちへといい感じで酔わせてくれるアルコール度数高めの映画と言えるだろう。