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文科省の調査によれば小学生の暴力行為件数は97年の調査以来増加の一途をたどり7年前の3倍にも膨れ上がって13年度には初めて1万件を突破した。
ますます低年齢化し凶悪化する傾向にあるという。
具体的にどのような行為を暴力行為としてカウントしているのか詳細は知らないが、いじめ事案の判定が相当程度主観によるのに比べ、暴力であればより客観的な把握が可能であるだろうから、上記調査の傾向は現実の実態を確かに反映しているのだろう。
夢見られた21世紀は随所で期待はずれの様相を呈しつつある。
2
「サル化する人間社会」において山極寿一氏が、「人間社会が、個の利益を優先する序列社会、言い換えれば相手を負かし自分は勝とうとするサル型の社会へとシフトしていっているように感じられる」という趣旨のことを述べている。
小中高生の暴力行為件数で4年連続でワーストワンの大阪においては、サル化というキーワードでずいぶんと色々なことが説明できそうだ。
大阪が生んだ最大のユルキャラと言えば寛平ちゃんであるが、寛平ちゃんが「誰がモンキーやねん」と歯を剥く必要がないほど、誰もがモンキーとなりつつあるのかもしれない。
3
山極氏は、人間が人間らしくあるためには家族が最も重要であると言う。
家族こそが人間の根本を担うはずなのに、昨今、人間社会では個人主義の色合いが濃くなる一方で家族の存在感が急速に薄れつつある。
長い歴史的な変遷のなか人間が築き上げてきた「家族を単位」とする社会の仕組が根本から揺らげば、人間はサルみたいに、「集まっていたほうが得だからという利害と序列だけの群れに属するか、あるいは孤独となる」他なくなる。
人間が心の安定を失いつつあってもおかしくない。
4
文科省の調査についての記事の横には、中高生で流行っているという「気絶ゲーム」が取り上げられている。
本当に失神させるというではないか。
そんなものゲームというものではないだろうと失笑しつつ、それがゲームというカテゴリーにくくられて何ら奇異ではない時代の空気感のようなものがあるのかもしれないと思いあたってぞっとする。
寛平ちゃんや池乃めだかが舞台で繰り広げた愛すべき自虐のギャグは影を潜め、いまや目を覆いたくなるような、胸が痛むような他虐の芸が花盛り、主役の座は移り変わってしまった。
テレビのバラエティ番組も似たり寄ったり。
四六時中「他人をいじる」つまり他虐し笑って、パパやママまで一緒に笑えば、良い子のお坊っちゃんお嬢ちゃんもこれがコミュニケーションであると学んで各所で実地に移す。
芸人たちとオツムの程度知れたパパやママが共謀し「他虐の蔓延」に一役も二役も買っていると言えるだろう。
5
そして大阪を筆頭にして、経済的な苦境に晒される世帯がますます増加し、家庭が空洞化してゆく。
子ザル達が徒党を汲んで群れを成し、サル的覇道に感化し人間的にはスラムと化した大人世界を跳梁跋扈することになる。
人の世のサル化に更に拍車がかかる。
「RAISED BY WOLVES」なら語感がいいだけましである。
「RAISED BY MONKEYS 」となれば目も当てられない。