KORANIKATARU

子らに語る時々日記

バカの一員となる日が迫る。


26世紀青年(原題 Idiocracy)」は一見どこからどうみてもコメディであり、終始抱腹絶倒となるのだが、見終えた後になってからじわじわと恐怖感が込上がってくる。

突き詰めればこれはホラー映画と分類されるべきものであろう。

子作りにおいて知的層は慎重で消極的、よって減少し、バカ(行儀悪い言葉だが映画に準拠)は後先考えずくんずほぐれつファックしまくる、よって激増する、このような設定によって映画が始まる。

悪貨は良貨を駆逐するのたとえ通り、26世紀、世界はバカに席捲されることになった。

主人公は21世紀の人間である。
知能はごくごく平凡。
21世紀において1年間の冷凍睡眠の被験者となったはずが忘れさられ、26世紀になってから目覚めることになった。

バカばかりの世のなので、彼は人類一の天才として崇められ、内務長官に任命されることになる。
元ポルノ男優である大統領の右腕として、食糧難など数々の問題解決を託される。

人類一の天才は、農作物の不作の原因を瞬時に突き止める。

26世紀の世界では、水はトイレでの排水に使われるのみで、人々はゲータレードを飲料水とし、農耕においてもゲータレードを散布していたのだった。

主人公はゲータレードではなく水を散布するよう提案する。
しかし、その主張は通じない。

ゲータレードはカラダにいい。
なぜなら電解質だから。
だから植物にもいい。
なぜなら電解質だから」

彼らが信じ込む鉄の信念を主人公はなかなか突き崩せない。

アホさの恐ろしさがこのシーンに凝縮されている。

そして、実にじれったいこのやりとりから、この映画が遠い世界ではなく、いま現在の話を取り扱っているのであると気付いて苦笑させられることになる。


ちらとネットをのぞけば、そのような実相の一端を知ることができる。
お題目は何であれ、調べようとすれば、ありとあらゆる不毛な信念に出くわすことになる。

論拠薄弱なうえ思慮にも欠けた皮相な意見が得々と表明され、戦わされる。
論理的に成立し得ない理屈、情報不足なまま為される断定、つまりは信念と呼ぶしかないものを、ああでもないこうでもないと、ぶつけあって貶め合う。

何の実りもない議論もどきが繰り返され、チープな感情だけがヒートアップして有用な情報はかき消され影が薄くなっていく。

なるほどここでも、悪貨が良貨を駆逐する


ネットの情報の海は、底なしで波は荒く秩序もなく、流れは支離滅裂だ。
知的訓練を経ないままそこに入っていけば、思考回路がはちゃめちゃにされかねない。
また、たとえ知的訓練を経た者であったとしてもうっかり気を緩めれば回路が破綻することになる。

それだけネットの威力は恐ろしい。

ゲータレードはカラダにいい。
なぜなら電解質だから。
だから植物にもいい。
なぜなら電解質だから」

いつ何時、このようなことを口走る側にまわるか、誰であれ油断ならない。

そして、徐々に徐々に誰もが呑み込まれていく。
悪貨は良貨を駆逐する。
知性の命脈は先細っていくばかりとなる。