1
御用納めにかけて最重要域の業務が倍加し朝から晩まで仕事に埋没する日々を過ごすことになる。
この時期においては週単位のタスク管理では立ち向かうべき全貌がグリップできない。
グリップできないと焦燥と不安ばかりが募ることになる。
A3用紙を2枚つないで各プロジェクトの締め切りを時系列で上から順番に並べる。
そして課題ごとにブレイクダウンした具体的作業をプロットしていく。
取り組む内容が一覧的に視覚化できれば半分片付いたようなものである。
後は執念深く日々の作業を積み上げその完遂を目指すだけとなる。
この一枚のチャートが夜ごと現れ、私をたたき起こしてくれることになる。
クリスマスや師走の情緒など一切無関係。
青息吐息となってただただ連日耐えしのぐ。
日記を見れば、毎年毎年切迫感で色失った様子ばかりが窺える。
この時期、日記などしたためる暇はないはずだ。
それなのに過去振り返れば日付大きく飛びつつも書いている。
性分としか言い様がない。
2
大阪池田線を北上し客先に向かう。
私のクルマの前を白い軽バンが走る。
信号待ちのとき、急に息絶えたみたいに軽バンのバックミラーがぽとりと落下した。
軽バン乗務員の奮闘が始まった。
助手席のおじさんがドライバーを使って何とか元の場所にバックミラーをねじ込もうとする。
試行錯誤の末、一瞬定着しかけるが、ほっとするのも束の間、またぽとりと落下する。
信号待ちでは、運転手がどれどれおれに任せろとドライバーを奪い取り試みる。
しかし信号はすぐに青に変わる。
ドライバーは思いを果たせず、助手席が後を引き継ぐ。
私は軽バンの後ろを走り続けている。
私の車内流れる Michael Nyman Band の Time Lapse とその悪戦苦闘の様子がとてもマッチしている。
イノセントなコントを見ているようなものであり何だかとても楽しくなってくる。
空港を左手に過ぎ蛍池付近に差し掛かって、ようやくおじさんらは接着をあきらめた。
この間、要はバックミラー無しでつつがなく運行が果たせていたわけである。
不要な悪あがきでしかなかったようだ。
3
軽バンは走り去り、今度は前方にベンツが現れた。
ナンバーが「ろ3333」である。
よほど、「3」という数字が好きなのだろう。
あるいはそのような双山ある曲線がお気に入りなのかもしれない。
しかし、「ろ」はどう目を節穴にしても、「3」とは異なり似ても似つかない。
むしろ違いが際立って、ひとつ「ろ」だけが浮き上がって奇異である。
出物腫れ物の類が、綾なす調和を乱すようなもの。
座り悪い並びが無意識レベルで心の平穏をかき乱しスッキリしない。
その「ろ」を「3」に変えたい、そのような衝動が微か湧き出るけれどどうにもならずもどかしい。
4
そして、ベンツも走り去った。
並走しあるいは前後し走った車両はどれもこれも走り去り、結局は私の空間と行き先だけが最後に残る。
運転していると、異なる世界が近接しては離散していくという、人生の本質を垣間見ることができる。
小一時間クルマを走らせるだけで、様々な世界と出合うことになる。
バックミラーが息絶えそれを蘇らせようと奮闘する世界があり、熱烈に「3」を愛好する世界があった。
私のように師走の仕事群に神妙な面持ちの世界もあったであろうし、トイレを我慢しているだけの世界や、身も世もないほどの暗澹に打ちひしがれている世界、恋が成就し天にも昇る思いの世界もあったかもしれない。
他者の世界は各種各様であるけれど、全て通り過ぎ忘却の彼方へと消えていく。
結局は自分だけの空間と行き先だけが最後に残ることになる。
5
仕事後、上方温泉一休にて湯に浸かる。
改修工事のための休館を控え、いつにも増して混んでいる。
そこへ、車いすを神輿のように担ぐ一団が入ってきた。
車いすには足の不自由な親父さんが乗り、真っ裸。
左右から車椅子を担ぐ青年二人はおそらく息子なのだろう、真っ裸。
混み合う湯船であったが、皆が状況を一瞬で察知して、スペースを空ける。
威勢のいい息子らが、いい湯に親父を入れて両脇をサポートする。
一日の締めくくり、カラダだけでなく心まで温まる。
結局は自分だけの空間と行き先だけが最後に残ることになる、と先ほど書いたがこれは舌足らずであった。
いくつか、本当に大事な何かについては、自他の境界などなく強烈な「残像」が刻まれることになるようだ。
過半は取るに足りず、あったのかなかったのかさえ不分明な忘却の渦のなか消えていき、大事なことについてはいついつまでも内部で息づく。
大事なことだけが大事だと改めて学ぶ一日となった。