KORANIKATARU

子らに語る時々日記

一人寡黙に食事する脳裏に波しぶきはじける。


ガーデンズから通り一つ挟んだ場所にあるラズッカディナポリで家族揃って食事した。
やや狭苦しいが、味は確かでどれもこれも美味い。
カウンターに横並びとなり、子らはパクパクとリゾットやら窯焼きのピザやらを平らげていった。

うってかわって事務所泊となった翌木曜日、私はひとりサイゼリアのテーブルに陣取る。

一人寡黙に食事したい、そのような気分であった。
匿名者としてひたすら沈黙して食事するにはサイゼリアがうってつけであった。

周辺から否応なく漏れ聞こえてくるガールズトークを聞き流しながら、一人無言の世界に沈む。


一人テーブルに腰掛けていたからか、映画「鑑定士と顔のない依頼人」のラストシーンが浮かぶ。

主人公は美術鑑定士である。
芸術作品の真贋を見分ける卓越した才を有する主人公であるが、現実の私生活においては、人々の虚実を全く嗅ぎ分けることができない。

そして主人公は慄然とするほどに痛切な末路を辿る。

ラストシーン、主人公はカフェ「ナイト&デイ」のテーブルに一人腰掛ける。
主人公は、無為に流れていく時間のなかに留め置かれ続けるだけなのかもしれない。
そう予感させるシーンである。

そうであってもしかし、主人公に寄り添い、彼を翻弄した偽りのなかにも真実はあったのだと主人公と共に信じ、希望を共有したいという切なる思いが観る者のなか強く喚起される。

生涯忘れることができないほどに印象深いラストシーンと言っても過言ではないだろう。
大人へと至る前、ちょうど今しがたのうち女性観を形成する上で、決して見逃してはならない恋愛映画である。


「あんなのカレシじゃないよ、死神みたいな顔がコワすぎー」、キャッキャキャッキャと安っぽいガールズトークが際限なく続く。

薄味のデカンタ白ワインを飲みつつ、イカスミパスタを口に運ぶ。
イカスミパスタを選んだのは、イカスミで口の周りを真っ黒にしてがっつく小さいころの長男の面影が頭に浮かんだからであった。

マレーシアへの旅行は延期しよう、ふとそう決めた。

二男の受験が終われば家族でマレーシアはランカウイ島を訪れようと決めていた。
トンネルの出口には波しぶきはじけ光り輝くランカウイが待っていた。

しかし、時世を考慮すれば、やはり慎んだほうがいい。

やんごとなきお家柄の、日本随一でお育ち麗しく、だからおそらくはストリートファイトの経験など皆無であろう我が国の首相が、よりにもよってかような凶漢に対し啖呵を切ってしまった。

しょっちゅうマレーシアを訪れる島田は、アホか、めちゃ安全やと言うけれど、捉えようによっては、安倍さんが口滑らせた売り言葉がきちんと買われて、日本人は明確に標的になってしまったと言える。

丸腰で端から万歳お手上げでしかない日本人であるのに、威勢のいい首相の言葉が引き金となって標的となる大義名分が備わってしまった。

日本人殺ったったというのが手柄となるかもしれない物騒なロジックが生まれてしまった。
そうであれば、そのロジックに巻き込まれないようにする状況判断が危機管理として必要であるに違いない。

過激派や抑圧されたマイノリティが存するかもしれない地域に、大した用もないのに子らまで連れて近寄ることはないと今は判断すべきだろう。


だから、行き先は、国内に変更する。

学生時代に訪れた心のふるさと、かつては秘境であったが、今ではちょっとしたリゾートとなり家族で数日過ごすのに十分なアクティビティも備わっている。
離島と書いて、はなれじま、と呼ぶような場所。

るるぶでネット予約すると、安いと評判の旅行社の見積りよりも格安であった。

それで十分。
密林と渓谷と青海原を家族揃って満喫する春が待ち遠しい。