1
バブルの頃は、正社員と言えば、なかば自嘲含みでお互いを指差し社畜と蔑み合ったものである。
それがいまや打って変わって、正社員というだけでどや顔できる、羨望の眼差しを送られるような特権階級となった。
ますます夢が貧する日本であるようだ。
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや、と寺山修司は歌ったが、正社員の座を争って死力尽くす若者は今こそ祖国を会社と読み替えてこの歌を復唱すべきであろう。
2
知る限り、その職業生活の幸福をしみじみ噛みしめているような会社員はいない。
しかるべき地位にあって権限がある、もしくは、希少な専門的能力を有するといったアドバンテージがない限り、裁量のない被使役の立場に置かれ続けるというのが会社員の実情であろう。
日々の出退勤を管理され、職務の出来不出来を評価され、それだけでもストレスを感じるが、会社の胸三寸で右へ左、家を建てれば遠方への転勤を命ぜられ、たった一度の人生なのに可愛い盛りの子と離れ単身で暮らすといったことまで忍従しなければならない。
3
会社に属し、組織内での出世もしくはそこまでは目指さないまでも生き残りを図るのであれば、そのローカル世界の構造を熟知し、その文脈のなかで成果を上げ社交に勤しみ適応に精を出さなければならない。
だからそもそも会社員を目指すというのであれば、勉強などほどほどにして、カラダを鍛え、半ばウケ狙いで種々の課外活動がもたらす様々なアクシデントやカオスに身を投じ、鋼の適応力と鉄の順応性を身につけ、そして同時に、世のしがらみや秩序についての暗黙知が血肉となっていくような道を選択した方がいい。
個を磨いたり勉強なんかしている場合ではない。
4
昨今は、会社的価値観と非会社的価値観が一緒くた、別種の周波が混線したような具合で若者に届く時代と言えるかもしれない。
「生存重視で考えれば寄らば大樹」という結論へ到達する価値観が一方で唱えられ、そこに「自己実現だよ人生は」という囁きがまぶされる。
会社の人事部が唱えるような、「我が社が求める人物像」に、その身を合わせようとしつつ、そもそも「我が身が求める人物像」こそ何なのか、それと「我が社が求める人物像」と一体何の関係があるのだと、自我が引き裂かれ少なからず煩悶することになる。
先日も書いたが、他人の思想に従属することはあまり幸福なことではないだろう。
まさに天上天下唯我独尊、人事部長は、こいつは使える、使えないと、そのローカル社会の不文律とでも言うべき評価軸をもって、バッサリバッサリと人を選別するのであるが、そんな評価軸などほとんどが過大視するに及ばない、わざわざ耳を貸す必要もないほどに陳腐な内容に過ぎない。
新人採用にあたっていくら美辞麗句を唱えたところで、会社については年功性と継続性と同質性が生命線であって、だからこそ金太郎飴的縮小再生産(新人は腰低く従順で頭は垂れた方がいい)が不可欠となる。
その縮小再生産の過程においてある種の選好が生まれ、ローカルな自社思想が涵養されていくことになる。
そのローカルな自社思想については、もちろん、内側だけで通じる話であり、外側では何ら価値を有するものではないが、新人採用の局面においてだけ外に開き、選民的な尊大さがチラリ垣間見えることになる。
上と見るや平身低頭卑屈なまでに恭しく、一方、下と見るや滑稽なほどにふんぞりかえって仰々しい態度となるのは、彼らが息苦しいまでにその思想のなか完結させられているからである。
会社を相手に覚えめでたく寵愛されようとするのであれば、ありとあらゆるステロタイプ的価値をその身にまとい、相手に応じてそれらしいような事をそれらしく並べればいいだけのことである。
要は、御社に値する人材であること、御社の思想に従属し完全完結する決意をどう巧みに伝えるか、というだけのテクニカルな話に過ぎない。
中身なくとも、面接での芸が優れば、評価は高い。
5
この日記は、いつ遺言になってもいいようにとそのような気持ちで書いている。
だから書けば書くほど思い残すことが少なくなって、清々しい。
生存にあたって他者が不可欠なのは言うまでもない。
寄らば大樹となるほどの他者の集積は、それはもう心強いことだろう。
しかし、人生の充実や職業的達成という観点で凝視した時、その在り方が正解とはとても言えないだろう。
仕事自体はどのような仕事であれ厳しくしんどいものであるが、そこに、自らの裁量と他者からの敬意が存するのであれば、しんどさを癒して余る満足感と充実感を得られるだろう。
仕事がきつく、その上、頭こづかれ尻たたかれるのであれば、それはもうただ食べるためだけにする営為でしかなく、そうであれば、苦しいという一言に凝縮される人生となりかねない。
寄らば大樹かどうかではなく、裁量と敬意の方をこそ重視すべきだろう。
6
犀の角のようにただ独り歩め。
かつてブッダがそう言ったと伝えられている。もちろん人事部長はそんなことは言わない。
君たちにおいては通過儀礼を終え、既に事は次の段階に移っている。
自らの将来像について、職業者としての在り方について、今のうちから「犀の角のようにただ独り歩む」自らを俯瞰し捉える思考訓練を積んでいった方がいいだろう。
人事部長が着眼する地平のはるか遠く、そのはるか先を進もうではないか。
あなたがいて本当によかった、助かった。
そう言われる「犀の角」となるべきだろう。