KORANIKATARU

子らに語る時々日記

倶楽部星光に初参加。そして常連となる予感。


私自身、その全貌をまだ把握できたわけではない。

大阪星光学院同窓会には様々な部局があり、それらがそれぞれ独自に、または折り重なるように密接に連携し、後ろから前から母校星光を少しでも良くしようと下支えしている。

卒業年度を縦断した数々のOBらによって定期的に討議の場が設けられ、喧々諤々議論が戦わされる。
そして、会議に引き続いては、まるでドリフのセットがCMの間にすっかり取り替えられたように、その場でたちまちざっくばらんな飲み会が始まるのであった。

人呼んで「倶楽部星光」。
どなたか先人が命名したという訳ではなく、どのようないきさつでかそう呼び習わされ、次第に他の呼称が影を潜めていった。
統一的な定着をみたのは古く昭和の時代に遡る、と島田に聞いた。

昨晩は、都市環境部会メンバーによる「倶楽部星光」が催された。
都市環境部以外にどのような部会があるのか、「倶楽部星光」について私はまだ想像を巡らせる程度、入口に立っただけの者でしかない。


夕刻早めに仕事を切り上げ、市内某所のニューミュンヘンに向かった。

ニューミュンヘンは私にとって甘く芳しい郷愁の場所。
焼肉や寿司を堪能できるようになる手前の幼少時、父に連れられ家族はニューミュンヘンで食事した。

ニューミュンヘンと一言聴くだけで、幼き頃の家族団欒の幸福がくっきりと思い浮かぶ。

倶楽部星光の会場がそこであるというのは、私にとっては符合的なことである。
星光というのであれば、どの道、家族のようなものではないか。


到着すると、ニューミュンヘン貸し切りの個室は会議の真っ最中であった。
一瞬気詰まりを感じる。
奥の席に島田を見つけその横に腰掛けた。

端っこの位置から会議を横目にしつつ、先日の京都マラソンを好タイムで完走し終えた島田と乾杯、ビールを飲み始め行方を見守った。

次第次第参加者が増え、会議と飲み会の雰囲気が混ざり合っていく。

私がビール二杯目を空ける頃には、まさに酒精の日の出、ビールの黄金色があたり一帯を眩しく照らし始めた。
9期から51期、43年という幅広いレンジから集まった20名男子が芯から憩う飲み会が始まったのであった。

ここで注釈を入れねばならない。
20名男子と言ったが、1名は女性であった。

聞けば、OBの方の細君であるということだった。
その方の亡き後、細君が参加されていると伺って、私はジーンと来てしまい、私たちの集まりで万一の時には皆に大事にされるであろう我が女房の姿などを思い浮かべ、再度またジーンとくるのであった。

初参加の私の前に座られたのは、重鎮であった。
その世界の第一人者であり、お話を伺いながらその学識に驚かされ、しかしそれよりも何よりも、まだまだこれからだという重鎮の心意気に強く感心させられた。
私たち若造もこの血気を必ず見習うべきだろう。


右横には、今をときめくお笑い界期待の巨星、ヤングの寺田君がいた。
さすが芸人、言葉の端々からして面白い。

星光51期のなかダントツで面白く、しかし成績はダントツで悪かった。
市大へ進むも、彼に宿る芸の魂は、大学生に収まることを彼に許さずお笑いの荒野へと彼をいざなったのであった。

Youtubeでそのネタを見た。
ラーメンは名作である。
コショウを手にする度、思い出し笑いに見舞われそうである。


この日の会を主宰した21期の先輩から印象深い話を聞いた。

ある地方都市にて勢力奮い、地域を震え上がらせてきたあの反社会勢力を封じる陣頭指揮に立っていたのは、星光OBだというではないか。

我が身可愛ければ、とても遂行できない職務である。
正義の信条がよほど強くても、命まで狙われるのであるから、怖くてなかなか本腰入れられるものではない。

それなのに、そのOBは毅然と立ち向かい、躊躇なくその根幹にメスを入れた。

聞けば、学生時代のうちに司法試験に通るほど優秀であっただけでなく、そもそものはじめから正義感の強い、一本も二本も芯の通った男子であったという。

星光にもそのような骨太のOBがいるのだと知って誇らしく、私は何度もその話に食い下がり根掘り葉掘り21期の先輩から話を聞き出すのであった。


卒業以来、私自身は、OBとしては蚊帳の外であることでよしとしてきた。
しかし、これは考えようによっては勿体ないことであった。

同じ学び舎を経た人物との交流から私たちはもっと学ぶべきなのであろう。
私たち33期以降も途切れることなく後輩らが続き、それがたった6年の在籍で終わってしまってさようならであれば、あまりに淡白、寂しい話である。

OBらが交流し、より深く広く網目こしらえればこしらえるほど、後に続く者には豊穣な世界が開けることになる。

職場や家庭や地域といったものとは異なる、確かな居場所のようなものであり、それは、OBがほんの少し心がけるだけで、より頑丈となり内実伴うものになっていくに違いない。

そのような場は、必ず確固としてそこにあるべきだと私は知った。
今後も折に触れ参加し網目の一部と化しつつ、そのかたわら趣味として星のしるべの人物列伝をしたためていこうと思う。