1
二男が無事に小学校の卒業式の日を迎えることができた。
担任教師が感極まって号泣し、その若気の男泣きに圧倒されて出席した父母らは一滴の涙もこぼせなかったという。
式の進行を遠巻きに見つめるママらの間では当の卒業式はさておかれ、わしお耳鼻咽喉科の先生がいいよね、そうそう、そうなのよ、といった世間話が繰り広げられるのであった。
そのような話を聞きつつ、メディアなどでそのお顔見たことのある高名な弁護士先生の事務所を後にし、家族に合流すべく帰宅ラッシュの車列のなかクルマを走らせる。
信号待ちの合間、二男がしたためてくれた父への手紙をiPhoneで読む。
面白い話をたくさんしてくれてありがとう。
他愛のない話の数々を二男が覚えてくれていることが嬉しく、信号の赤を見つめつつ目頭を熱くする父であった。
このところは物静かに過ごす毎日であるが、卒業式の日くらいは皆で食卓を囲もうと自宅で家族をピックアップし岡本の四川に向かった。
2
超人気店である。
直前に予約したことを考えれば、横並びのカウンター席4つを確保できただけでも僥倖なことであろう。
計らった訳でもないのに年齢順に右から左へと着席することになった。
我ら下々の民、岡本が放つくっきりハイソな雰囲気に序盤滑り出しは気詰まりを覚える息子らであったが、差し出される料理の数々に注意は移って彼我の差についての気後れは消え去ったようであった。
焼き飯、麻婆豆腐、ラーメン、餃子、エビチリ、唐揚げ、、、と中年なら耳にするだけで胸焼けしそうなラインアップを子らは勢いづいて次々勝手に注文し平らげていく。
野菜の炒めものなどをあてに紹興酒をロックで飲みつつ、子らの食いっぷりを眺める。
お腹もほどほど満ちた頃、中2の長男が中学の卒業式について話をしてくれた。
昨年末入浴中になくなった男子は担任教師の胸に抱かれ遺影での参加となった。
その男子の名が卒業者として呼ばれたとき、クラス全員が声を合わせハイッと返事した。
卒業式にはその男子のご両親も出席されていたという。
その話を聞いて、私は数年前に開催した星光33期の同窓会のことを思い出す。
20年以上も前に亡くなった級友のご両親が遺影携え同窓会に出席された。
「生きていれば、こんな風になったのだろうね」
会場で漏らしたご両親の言葉が忘れらない。
亡き息子の姿を、私たちのなかに見るような思いであったのだろう。
卒業式に出席されたご両親も同級生らがしたハイッの返事の中に、息子の声を聞いたに違いない。
3
春休みになれば東京だソウルだと近場でも散策する予定の家族であったが、すべて取りやめ、結局はいつもどおり地味におとなしく過ごすことにした。
長男も二男も空いた時間は精進あるのみ、地元の研伸館でしっかり勉強すればいいだけのことである。
遊ぶより実り多い。
なんと恵まれたことであろう。
何の変哲もない平凡な日常を、静か真面目に過ごしていく。
薄味と思いきや噛めば噛むほど甘味ひろがる。
そのように幸福を噛みしめることこそが大事なことなのであろう。
4
梅田の花屋でフィカス・ウンベラータを買ったのは二男が小1になった年の7月のことであった。
当時クルマの助手席に収まる程度の背丈であった植木風情が6年経過し自宅の吹き抜けエリアをその領域とするほど立派に育ちいまや樹木とさえ言えるほどの貫禄を漂わせている。
花言葉は、永遠の幸福。
リビングでくつろぐ子らに目をやり、そしてウンベラータに視線を移す。
見上げる仰角は知らず知らず増すばかりであったようだ。
ずっとこのまま、この時間が永遠であればどれだけいいだろう、切に願うような気持ちとなり子らに視線を戻した。