KORANIKATARU

子らに語る時々日記

入試の終わりを待つ時間


気分軽やかとなるはずの仕事あがりの夕刻、疲労が抜けない。
頭を薄らぼんやりさせたまま、とりあえずは自宅に帰る。
岩盤浴やマッサージに向かう気力さえ起きない。

家では真っ直ぐ食卓に向かう。
ハイボールを飲みつつ、カウンター越し家内から出される前菜に手をつけていく。
アジの蒲焼き、アボガドのサラダ、ブッコロリーのスープと続く。

父の帰宅を知って、二男が階段を駆け下りてくる。
今日もらったばかりだというクラスの集合写真をみせてくれた。

ああ、懐かしい。
副担任は、我ら知らぬはずのないあの数学の恩師だ。

若き後輩、中1諸君の面々を見渡しているとデジャブにとらわれる。
そこに写るのは、ナカエでありスミトモでありワキモトでありクシダでありヨコヤマでありイマイであり、そうそう、まるで当時の私たちがそこに並んでいるかのようである。

同じ制服かつ同じ年格好、そう見えても無理はない。


二男に肩を揉んでもらい家内に肩を揉んでもらいしていると、疲れも癒えてきた。
その折を見計らって、今日買ってきたという新しいシャツやズボンを試着するよう家内に促される。

私自身は、服格好に全くこだわりがない。
格好を気にしていた若き20代の頃の洟垂れ病は、結婚した後、それどころではなくなりたちまちのうち快癒した。

どの道、何を着たところで、身につけたところで、男子にとっては同じこと。
所詮は儚く過ぎ去る影のようなものに過ぎない。

男なら、他のこと、もっと気にかけることが山ほどあるはずだ。
仕事に全力投球していれば、そんなもの眼中に入るはずがなく、もし万が一、大の男がやたらと格好ばかり気にするのであれば、これは熱中する対象が居所不明のままエネルギーを空費させている、そう見立てて間違いない。
男が格好を気にするなんて格好よくない、という話だろう。

そして、あまりに私が無頓着で格好悪いため、家内は定期的に服を買ってこなければならず、それを私に試着させることになる。
こうして、まあ、何とか私は最低限の身なりを保っているのであった。


考えれば優雅なものだ。
ついこの間までは、塾への迎えがあって、深夜に差し掛かる時間帯、家内と交替で塾に向かい子が現れるのを待つという生活であった。
ひるがえっていま、弛緩し過ごせるこの宵の内、なんと平穏なことであろう。

寛ぎながら、ふと、数々の待ち時間に思いを馳せる。
最も神経が張り詰めたのは入試終了を待つクルマの中でのことだろう。

四天王寺近くにクルマを停め、家内とふたり終了の時刻を待っていた。

校門に子が現れたとき、その表情は満面の笑顔に違いない。
快心の出来栄えに笑みを抑えきれない、そうでないはずがない。
そのために長く時間かけ準備してきた。
どう考えても、時系列たどれば、必ず余裕でそうなるはずである。

そうとは思いつつ、そこが親心。
心晴れ晴れというわけにはとてもいかない。

懸念という雲がときおり暗い影のように心をよぎる。
いくつもよぎる。
よぎればよぎるほど、更に数を増し、またたくま、雲が集積、心は暗く淀んでいく。

振り払うが、またよぎる。

もしかして、とヒヤリとし、
しばらく後に、もしかしてパート2。

拡大し続けるじれったい時間のなか、心は陰に陽にと明滅し続けるのだった。


結局は塾のお陰なのであろう。
本番の緊張のなか、何とか子は力を出しきれた。

所詮は子供であるから、本番では地に足つかずスキだらけとなって当然だ。
それを折り込んでの的を射た対策があったかどうかが勝負の分かれ目と言えるのかもしれない。
入試直前の念入りな対策の時間があってこそ、大過なく取り乱すこともなく走り抜けることができたのだろう。

数量という点ではパッとしないにせよ、二男が通った上六の教室の成果は質的には大したものであろう。
灘コースの子は大半は灘に通ったと言うし、灘がダメでも東大寺には通り、星光コースの子のほとんど全員が星光、西大和、東大寺の全部または複数もしくは少なくともひとつには通り、有志募って対策施した甲陽についても5人が5人、全員が合格したという。

受験については悲喜入り交じるのが常であり、「悲」と出るか「喜」と出るか、その比率はまちまちで、たまたまうちは「喜」と出る場所に恵まれた。

ああ、やれやれ。
そのようなことを反芻しつつ、さらにまたハイボールをお代わりする宵のうちである。