KORANIKATARU

子らに語る時々日記

大学時代を偲んでいたら飲み会で再会した。


先日、大学時代の友人から連絡をもらった。
久々に大勢集めて飲み会を敢行する。
場所は東京汐留和食えん、土曜日6時。
42階からの夜景が綺麗だ、要参加。

大久保の地にそびえ立つ不滅の楼閣、我らが51号館を眼前に仰ぎ見るような思いとなって懐かしさが込み上がる。

一も二もなく駆けつけたいと気持ちは盛り上がるけれど、週末含めて愚劣なほどの忙しさのちょうど真っ只中にあり、どう時間をやりくりしてもとても東京までは足を延ばせない。

参加者の顔を浮かべ過去を回顧しつつ、時間はまた巡ると今回は参加を見送った。

大阪どっぷりの生活が続いている。
駆け出しの頃は物珍しさもあって遠方の仕事も請け負った。
が、寄る年波、苦楽並べばついつい楽に手が伸びる。

私の仕事圏は生活圏とほぼ同じ、そのように収束し切った日常を過ごしている。


だからだろう、思いついて切符を買った。
行き先は東京。

人が群がる行楽地は避け、通り一本入ったような、舞台裏のような場所を巡る旅。
ちょうど子らも大人の見識を備え始めた。
子供だましでじゃれてはしゃいで満足するような年頃でもないだろう。

彼の地で一人暮らした父の若き頃の足跡をたどる、という今回の旅のテーマについて、優しい二男なら賛成してくれるに違いない。

若き私が一人歩いた商店街や、大学までの通学路、そこを今度は一人ではなく、一対の金剛力士像みたいな逞しい長男二男を引き連れて歩くなど、なんと誇らしい、想像しただけで心は歓喜に沸き返る。

いま大阪で暮らす自分とはまた違った自分が東京にはいた。
全く別様、別の人。
そこをたどれば、忘れてしまった大事な何かを思い出すことになるに違いない。
旅路でありつく肴としてこれ以上の逸品はないだろう。


夜、飲み会。
帝塚山界隈に暮らす33期の仲間が集まった。
場所は西田辺駅からほど近い、魚路。

どれもこれも名漁港を出自とする珠玉の鮮魚が食膳にずらりと並べられる。
由緒正しい来歴の刺し身や煮付けや焼魚に彩られて男子校トークが始まった。

話す内容は十代レベル、しかしそこに四十代の哀歓がこもると、話はじんわり深くなる。
だから自然とお酒がすすみ、皆が皆いい顔、心地いい感じで酔いが回っていく。

宴もたけなわ8時過ぎ、オーノが現れた。
オーオ、オオーノ、との感嘆の声が地鳴りのように響き渡った。

5,6年ぶりの再会だ。
私にとっては中高だけでなく大学も同じ同窓生。
なんと懐かしい。

さあさあさあ、と酔いの炎が再燃し、楽しい宴は他の客がこぞって帰った後まで続いた。そして深夜にお開き。
じゃあね、おやすみ。
明日また学校で会うみたいに各自別れて家路についた。

そうそうそう、GWの東京行きは正しい選択。
オーノの登場がその正解を暗示したようなものである。
一人ニヤニヤ私は車中の人となった。

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