KORANIKATARU

子らに語る時々日記

観光地の芯を外して巡る東京の旅

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夜の9時には自宅に戻り、今年のGWが終わった。
二男は即座に試験の準備に取り掛かり、長男はロードワークを終えた後、遅くまで机に向かった。

旅が終わった途端に、普段通りの生活が再開した。
彼らの自律的な日常への回帰力はなかなかのものであると感心しつつ、ハイボールを片手に私はこの旅程を駆け足で振り返る。

今回の東京の旅は、お台場で行われたオクトーバーフェスタで幕を開けた。
私が東京在住の頃には存在しなかった人工の街の賑わいに触れることから始まったのであった。

等身大のガンダムを横目にビールを求める列に何度も並ぶ。
会場には若いカップルが目立った。
ビール一杯が千円以上するので結構な羽振りの若者たちである。

強い陽射しが降り注ぐなか、みな顔を真赤にしてドイツビールと本場のソーセージを楽しんでいる。

屋内の会場ではちょっとしたコンサートが行われ、ドイツであればもちろんの定番、ジンギスカンが歌われ、会場はビール酔客の大合唱に包まれた。

絵に書いたような平和な休日だ。

夕刻、陽射しは和らぎ、海からの気持ちいい風が吹き渡る。
ほど近い場所にある豊洲ららぽーとの船着場に発着する水上バスをぼんやりと眺めて時間を過ごす。
子らはそこらを探索している。

初日の夕飯は、有明のシーフード料理メヒコ。
ステーキやらカニやらを満喫した後、路上には人っ子ひとりいないのにシュールに光り輝く豊洲の夜景のパノラマを抜け、今度はガラリと舞台を変え下町に移動した。

人のはけたスカイツリーを見物する。
上部が雲に覆われ、その雲間にスカイツリーの光が滲み込んでいるかのように見える。
頭上はるか彼方、いかにも謎めいたような宇宙的な光景にしばし見とれる。

仕上げは、下町の銭湯。
名銭湯と聞こえ高い寿湯は東上野の仏壇屋街にある。
地元江戸っ子の顔ぶれに混じって湯につかる。

新しい街と旧い街の両方の雰囲気に一度に触れる一日となった。


翌朝早くに目覚め、寝静まる家族を置いて私は長めのウォーキングに出かける。

吹き付ける強風に肌寒さを感じつつ、湯島天神に手を合わせ、東大赤門を通って東京ドーム、平川門を経由し東京駅へと歩く。

家族が目覚める時間には戻って箱根へ向かう。

海老名サービスエリアの入り口には長蛇の車列ができている。
家内が言うには、テレビで何度も紹介されるような有名グルメが揃い、ここ自体が目的地となっているという。

その辺りから戦闘機がやたらと眼前を横切って行くようになった。
遠く飛び立ち旋回する機もあれば、地上にぐんぐん接近してくる機もある。
大迫力ではあるが、明らかにものものしい雰囲気だ。
何かあったのかとネットで調べるとアメリカ軍が行う硫黄島離着陸訓練の日にあたっていたようだ。

天山湯治郷までは90分ほどであっただろうか。
山間の空気が清涼で、その地に入っただけで癒された。
まずは、岩清水で種々の蕎麦を頂き、本格的な湯浴に備える。

石釜のサウナに入り、ぬるめの湯、あつめの湯など各種転々とし過ごす。
広々としてくつろげ、どの湯も素晴らしい。
体はほぐれ、幽玄な雰囲気に心も鎮まっていく。
家族連れでも一人静かに過ごすにも格好の場所と言えるだろう。

湯から出て温泉街でも見物しようと箱根湯本の駅方面に向かうが、人がごった返している。
クルマから降りず、即座引き返すことにした。

ちなみに箱根山の噴火警戒レベルが2に引き上がったのはこの翌日のことであった。


東京に戻って夕刻の銀座を歩く。
表通りは人が多すぎてまっすぐ歩けない。
羽振り良さそうなアジア系の外国人の姿がやたらと目につく。

ようやく用事が終わり、今夜の夕飯の場所である秋葉原へ移動する。
銀座と秋葉原、ともに人出で賑わうが、似て非なる街であり、そのコントラストが面白い。

秋葉原の通りには若すぎるようなメイドちゃん達が立ち客を誘い、もっさいような青年らが関心ない風を装いつつしかしジロジロ彼女らに視線を注いでいく。

アキバ・イチの駐車場にはアニメ描かれたクルマが幾台も駐車してあって、中にはきわど過ぎる、パンツ丸見えといったようなキャラクターが大壁画のように描かれたクルマもあった。

そのような趣味趣向の若者らを奇異には思うけれど、こんな中から日本を代表するような逸材が生まれるのかもしれない。
世の中いろいろ、そう学ぶだけのことである。

立吉で串揚げを食べる。
ワイン赤、白、ビール、しこたま飲んだ。
ワインは下に澱がたまるので全部は注いではいけないと、この日、初めて知った。
そしてそう助言をもらいつつも、飲兵衛には無関係、結局ボトルを空っぽにするのであった。


次の日、家内と連れ立って早朝の散歩に出る。

肌寒さはあるものの、胸がすくほどの日本晴れ。
一昔前なら、小高い場所から富士山が望めるであろうほどの快晴。

しかし、東京はますますますますビルだらけ。
ビルの陰に阻まれて、富士山は東京から遠くなるばかりのようである。

神楽坂から早稲田方面へと歩を進める。
早稲田大学周辺を懐かしみ、穴八幡神社に寄って戸山公園を抜け、新宿を経由し四谷方面へ向かう。

空は青く、至るところ緑つややか。
道幅も広く、建物は高く、東京の大きさを体感しつつ家内と歩く。

途中横切った新宿2丁目の雰囲気に驚いた。
朝なのにカラオケの歌声が響き、通り過ぎる男性陣に、心なしかシナがある。

朝まで飲んだ恋仲なのか、通りでタクシー待ちつつ「結婚するのか」と一人の男がもう一人の男を問い詰める。
日本晴れの朝の路上の痴話喧嘩。

夫婦で見て見ぬふりして通り過ぎた。

そのまま歩き続け麹町を抜け、半蔵門にまで至ってイギリス大使館で折れる。
地下鉄に乗って、東京を巡るジョギングを終えたばかりの子らと合流した。

神楽坂での昼食の予約は13:30。
それまで毘沙門天赤城神社にお参りし界隈をのんびり歩いて過ごす。
西欧系の観光客を多く目にした。

そして、いよいよランチとなった。
中華の王者、結華楼はビュッフェ形式である。
酢豚が美味しく、北京ダックが美味しく、小籠包もエビチリも、何でもかんでも美味しい。
私は箸をつけなかったが、あっさり風味の麺類も相当に美味かった、と子らは口を揃えた。


帰りの新幹線の時刻は17:30。
いよいよ残り時間僅かとなった。

皇居をクルマで一周しながら、東京フィナーレの時間を過ごす。

イギリス大使館、議事堂、最高裁国立公文書館霞が関の官庁、占領軍司令部が置かれた第一生命館、占領軍宿舎であった帝国ホテル、将門塚、首相官邸靖国神社、大改修目前のホテルオークラ、アメリカ大使館とまわって、鳥居で有名な日枝神社で締め括った。

なるべく混雑とありきたりな場所を避け、「芯を外す」ように東京の各地を巡って、最後には、中心に迫った。

大阪と対比するなどありえないレベルの彼我の格差を子らも感じたに違いないであろうし、東京ではオリンピックが開催されても大阪ではそれがありえないと肌で実感できたに違いない。
縦、横、高さ、それぞれ10倍、しめて1000倍の規模の差異。
中央と地方、という言葉の意味がよくよく理解できたことだろう。

発つ時刻が迫り、新しくなった東京駅で車内宴会用の食材を急ぎ足で買ってホームに向かう。

東京を後にする寂寥が各自の胸に去来する。
いたって口数の少ない帰途となった。

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