KORANIKATARU

子らに語る時々日記

母親の腕の見せ所


夢が映像となって再生される。
そんな機械を手にしたクレアはその世界に耽溺する。
まさに夢中という状態。
クレアは機械を手放せない。
呆けたように「夢」の映像世界に没入したままとなる。

ヴィム・ヴェンダース「夢の涯てまでも」の一シーンである。
日本では91年に公開された。
U2 が歌う主題歌「UNTIL THE END OF THE WORLD」があまりに素晴らしく話題になった。

昨日阪神電車に腰掛け、周囲の乗客ほぼすべてがスマートフォンに目を注いでいる姿を見てそのシーンのことをふと思い出した。

25年近く前の映画において、まさしく今の様子が予見されていた、そう思えるような光景であった。

人は観念の生き物である。
手の平に収まる程度の観念の産物、それが人間なのだと、車内の様子を見れば実によく理解できる。

車窓に目をやる。

空は厚く雲に覆われ、街には鉛色のグラデーションがかかっている。
台風が接近中なのか、強く風が吹き付け地上張られた電線がせわしくなく揺れている。
電車は西へと風に真向かい進んでいく。

ちなみに、クレアを「夢」の映像の世界から救ったのは、言葉であった。
映画において言葉は映像と対になる形で配置される。
かつての恋人が発する言葉が彼女に作用し、言葉が構築する物語の力によって彼女は依存から脱することができたのだった。

テクノロジーに耽溺することで人類が受ける負の作用、人心が崩壊し、果ては環境が破壊され、人類が滅亡に追いやられかねない、そういった終末論的な危機感を喚起し警鐘を鳴らすという作品であった。


人類に対するテクノロジーといった大げさな構図はさておいたとしても、日常周辺、入れ揚げてしまえば積もり積もって看過できないような負の作用が返ってくる、そんな事象に溢れている。

人心の崩壊にまでは至らないにせよ、ちょっとした気晴らし程度のはずがその虜となって心離れられなくなり、心の奥底では不本意ながらも引き返せず、そのまま泥沼にはまっていく、そうなってしまった人間は掃いて捨てるほどいるだろう。

ぐるり周囲には罠が張り巡らされている。
相手は手強い。

そう知った上で各自が対策を講じることであろう。
日頃から自らに問い、兆候あれば、早めに引き返すよう適宜手を打つ。

例えば、美味しいラーメン屋の並ぶ通りは避けて歩く、財布に必要以上の現金を入れない、といったようなことである。

しかしながら、自己を統制することを覚えぬまま長じてしまったという人の場合、手を変え品を変え何か易きことに依存しっぱなしという性根は如何ともし難く、ツボにはまれば耽溺のなすがままということもあるだろう。

やはりどうやら、本質的な対策は子育てのうちから、ということになりそうだ。
つまりは親の責任ということになる。

対策チームの船頭は、男子より女子、つまりは父ではなく大地の母が適任だ。
子に忍び足近づき重大な悪影響及ぼしかねない安逸どもを蹴散らす門番は、母以外にはない。

古くから、酒や博打ゲームにパチンコ、無頼に憧れファンタジーに依存し身を持ち崩すのは男子の側と相場が決まっている。
男はうっかり子に理解を示してしまって助長さえして取り返しのつかない結果を招き寄せる場合がある。

女子については、ごくごく稀に買物癖や虚飾癖の抜けない人もないではないが、幻想への入れ込み用は男子と比すれば可愛いくらいのもの、正気の度合いでは女子が優って、やはり、適任は揺らがない。

ただ、当の母自身が「人は自らを統制するものである」ということを身を持って学んだ経験がなく疎いまま、作用の正負について分別つかない、となれば話は別である。
つまりは加減が分からないので、良し悪しの分量と見極めが果たせず、混濁したままただただ小うるさい。
そんな方向音痴であった場合には全く役に立たない。

陰ながらであっても微力であっても、一生懸命手持ちの旗を振って、良し悪し差引きプラスが残るよう後押しするのが母親の役割というものだと思うので、良し悪しの見識がないのであれば、黙って口をつぐんでもらっていたほうが世のため人のためということになる。

とっ散らかって心ここにあらずという痩せた土壌を根城とし不適切なるものは湧き出て繁殖する。
ちょっとやそっとでは揺らがない芯のある人物が育つには、地味で静か、しかし、実のある日常というものがまずもって必要であろう。
しっかりとした定点のあるような暮らしのなか、人は自らをじっくり時間かけて整え、やがては確固とした統制感のようなものを身に付けていく。

うまくいけば以心伝心、そうでなければ感謝もされない、あくまでそのような黒衣に徹し、花咲く土壌を形作るためあれやこれや苦心する、そんな寡黙なさじ加減が、母親の知性と腕の見せどころと言えるのだろう。

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