1
斜め前に座る青年と何度か目が合う。
昼日中、カジュアルな格好で電車に座る小太りの二十代。
どちらかと言えばパッとしない雰囲気だ。
駅に停車すると、冷気とともに小雨が入り込んでくる。
このところの夏日が嘘のよう。
半袖では心もとない底冷えの雨模様。
後悔後の祭り、上に羽織るものが一枚必要だった。
彼は二つ折りにしたノートを片手に持ち何やら熱心に書きつけている。
勢い良く書き続け、ひとしきり。
そして、手を休めしばし辺りに視線を走らせる。
何かに目が留まれば、また勢い良く書き始める。
その過程で私は彼と何度も目が合った。
視線の着地点を凝視し彼は筆写している。
間違いない。
アイデアを巡らせそれをメモしたり、型の定まった課題をこなしている、といった風ではない。
そうであればあれほど忙しくなくキョロキョロするはずがない。
視線を動かせば動かせほど、思考は落ち着きを失くす。
つまり彼は思考しているのではないし、作業しているのでもない。
絵描きが被写体に迫ってちょちょいとスケッチするみたいに、視界のなか焦点合った何かについて、彼は描写している。
ペンの走りから見て、絵ではなく文を書いていると分かる。
文章修行か何かの訓練か。
そんなことして何の役に立つのだ、何か実になる勉強でもした方がいいのでは。
第一印象としては、そのような感想が浮かぶが、その懸命な様子を見るにつけ、それはそれで意義ある行為のようにも見えてくる。
注意研ぎ澄まし、何か捉えそれをノートに生け捕りにする。
スイッチOFFにし呆けたように電車に揺られるより、時間活用としては有益であるのかもしれない。
何であれ、発見や学びが得られるであろうし、積もり積もれば、そのように適応した「眼」には何か力が宿ることだろう。
彼はノートにペンを走らせ、私は彼の姿を心に留める。
すべてが学びの場。
視界に磁力みなぎらせ何かキャッチしようと目を見開くこと。
案外大事な姿勢であるかもしれないと彼から学ぶ。
2
乗り換えの際、駅前の本屋に寄る。
「亜人6巻」が発売されている。
やはりたまには本屋はのぞくものだ。
亜人5巻を買ってからずいぶんと長い年月が経過した。
やっとの6巻、念願の6巻である。
もちろん私が読むのではない。
子らが待望する6巻であった。
私自身は、マンガ自体を手にしない。
文字がぎっしり詰まった本だとしっくりくるがマンガだと勘が狂う。
カラーバットを振るみたい。
手応えを感じない。
おそらくは忙しいからであろう。
マンガだと急いても急いても進行が遅く焦れったい。
時間は限られている。
文字が詰まった本の方が情報吸収にしても鑑賞にしても効率がいい。
いつか暇ができたら、じっくりマンガを紐解こうと思う。
全く読まなかったわけではないから、マンガから得るものがあることも知っている。
それまでは我が家の図書係として話題作や名作を片っ端から買って運ぶだけの役目に徹することにする。
3
自宅で夕飯。
麻婆茄子、サバの塩焼き、うなぎのキモ、サラダ。
茄子が格別の風味、サバは脂乗ってふんわり絶品だ。
二男の弁当の話となった。
子らの弁当については毎朝家内から写メが送られてくる。
本日のメインは肉巻きオニギリ。
ごはんに生肉巻いてこんがりと焼く。
一目で美味いと分かる焼き加減。
昼休み、二男は友だち達と一緒に弁当を食べていた。
一人の友人が、肉巻きオニギリと交換してよと、ちくわを差し出す。
二男は躊躇した。
すると相手はレートを上げ、ちくわに変えて天かすオニギリをチラつかせた。
ディール。
肉巻きオニギリと天かすオニギリの一対一のトレードが成立した。
その取引について、家内が二男に助言する。
天かすはタダ同然。
やまがき水産のお肉とでは天地の差。
交換負けやないかいさ。
食卓はホームドラマのような笑いに包まれた。
友だち同士のやりとりにおいては、大らかで結構、ガツガツなどする必要はないけれど、そのような視点も一理あり、覚えておいて損はないだろう。
4
今日は6月6日。
去年同じ日に書いた日記を読み返す。
我ながら結構いいこと書いている。
過去の記載からも学び直すことができるのであるから、やはり日記は意義深い。
ちょうど一年経ったが、今も全く変わらず同じ気持ちである。
何年経っても、同じだろう。