1
京橋は大阪屈指の猥雑さを誇る。
あたり界隈、軒並み飲み屋。
絵に描いたような大阪俗世の一角で一席。
老境の事業主から久々声がかかって駆けつけた。
しばらく疎遠であった。
たまたま私の顔が浮かんだのか、はたまた何か特別なお話でもあるのか。
いずれにせよ、人生の大先輩から教えを受けて、しかも酒まで注いでもらえ腹まで膨れる。
仰せに従って損することは何もない。
古老の一人語りに耳を傾け、時折合いの手を入れ、一つ一つの話を咀嚼していく。
かつてそうであったように、まずは昔話から始まった。
2
在日については二種類あるという。
その事業主は在日の方であった。
本国である半島出身者と、本国とは地を接しない済州島出身者。
半島の人間はこの離島を出自とする者を蔑み交わらない。
彼の国において、済州島は曰く付きの地であるようだ。
半島出身者が上流階級で、一方の離島出身者は未開民。
そのような身も蓋もない階層観が内面化されている。
日本人から見れば、同じように見える。
しかし実は大違い、言葉も違えば習俗習慣も異なる、ということのようだ。
置かれた立場によって世界の見え方は様変わりする。
彼の国の民が共有する微妙なニュアンスなど汲み取れるはずもない。
自身の視点は常に情報不足を免れない。
3
半島からも離島からも多くの者が日本で一旗あげようと海を渡った。
日本においては最下層に置かれる立場であっても、最下層にも五分の魂。
半島者の中には舞台変わっても離島者を忌み嫌い差別する者があった。
しかし、どちらにしても生計を立てることは生易しいことではなかった。
まさに石に齧りついてでもという言葉通り、何でもやって糊口を凌がねばならなかった。
時代というリングで現状というハードパンチャーにクリンチし必死で踏ん張る人々の様子を思い浮かべつつ、ビールをお代わりし、最後の一切れとなった中トロをパクリ口に放り込む。
半島者も離島者も、誰も彼も最初は土木現場などで人夫をし、町の廃材や鉄くずを集めるような日々を耐えしのぐしかなかった。
金が貯まれば、いつかは商売でも始められるかもしれない、そう夢見て歯を食いしばった。
少しずつステップアップし、思い思い、ありとあらゆる商売のなか在日者は潜り込んでいった。
ぐずぐず思い悩むような優雅さとは誰もが無縁であった。
少しでもましなことをして、何としても生き抜こうという気概だけ頼りであった。
4
むしゃらに働いた結果、多くの者がちょっとした金持ちになった。
日本経済の上昇気流が味方となった。
半島出身者はもとの気位を取り戻し、カッコつけて気前よくお金を使った。
一方の離島出身者は、その正反対、目立たぬよう擬態しお金を蓄え子息の教育に力を注ぎ、先々の不安に備えることを優先した。
古老の事業主は、離島出身者の在り方を「うまく俗化した」と表現した。
しかし、ちょっとお金ができても、日本社会では底辺であるような位置づけは変わらない。
それほど日本人の差別感情は凄まじかった。
胸に手を当て、考えてみる。
かつてより下火になったとは言え、日本人一般の胸のうちの差別感情は意外に根深いものかもしれない。
言葉には、意味や価値が籠もる。
日本人として言葉を繰る際、当然、その言葉が有する意味や価値を認識している。
うっかりすれば、指し示す言葉自体に、冷やかでやや蔑んだニュアンスが染み込んでいる場合があると感じるのは私だけではないだろう。
差別する気などなくても、使う言葉自体に差別感情が付着している。
よほど注意しなければならない。
5
俗化?ですか、と私がその言葉の意味を問い、事業主が言葉を続ける。
最下層であるという状況を直視すれば、ええカッコなどしている場合ではない。
脇を閉め重心を落とすべきである。
意味するところが見えてきた。
ええカッコをミニ「貴族化」と捉えれば、その反対への志向は「俗化」と言える。
最下層に置かれたなかで貴族ぶるなど滑稽で悪い冗談みたいなものである。
そのような観点で捉えれば「俗化」という言葉が良い意味で使われているのだとよく理解できる。
もちろん、話を聞きつついくつか疑問も湧いてくる。
大雑把な2グループに分別した話であるが、似た境遇に身を置く中、おそらくはその2グループは混ざり合う融合の過程に入っていたであろうし、真反対異なる性質をそのまま維持したというより、互い影響し合いつつ折衷的な価値観が生まれたのではないか。
一概にこっちはこう、あっちはこう、と断ずることなどできないものだろう。
しかし、言葉を返すなどあり得ない。
お相手は古老。
ビールの次は、ハイボール。
疑問を口にする代わり、私は店員に声をかけた。
6
そして、時代は曲がり角を迎える。
ここ数年で、風営法はじめとする数々の法律が改正され、遊技業はじめ在日の方が多く携わる事業が先細りし始めた。
顧客を特化したり、商売替えをしたり、多くの事業者が方向転換を余儀なくされることになった。
これまでの成功の方程式は、現在進行で音を立てて崩れていく。
何が何でもと食い下がり、この急場を凌げるリキある後継者も見当たらない。
いつの間にやら他の飲み客は姿消し店は閑散とし始めた。
そろそろ看板の時間だろう。
買い手も見つかったので、商売は廃業することにした。
事業主はそう言った。
それがこの日の話の終着点であったようだ。
商売の世界で独特のポジションにあり存在感を発揮していた一つの勢力が徐々にフェードアウトしていく。
そういった時代の節目なのだろう。
7
蔑まれても小突かれても怯まず、時代にクリンチして生き抜いた人々があった。
国籍とは無関係、そこには学ぶべき何かが詰まっている。
私たちはこの先ずっと平穏に日本で暮らすと信じているが、どのような拍子でか、新天地ですべて一から始めなければならない、といったことが全くないとは言えない。
すべてがひっくり返った未曾有の混乱のなか、振り出しから人生を始めねばならない、といったことだってあり得ることかもしれない。
そのようなことを思った時、参考となり力づけてくれるのは、タフでハードな日々を持ち堪えた先人の話であり、そんななかでも生き抜けるのだという人間一般に対する信頼感だけであろう。
書き残しておくべき話である、そう思って日記に書いた。