1
週末くらいは電車を使う。
日曜なのに始発に乗って事務所に入る。
仕事は順調に流れているので日曜に働く必要はないのだが、根付いた習慣はなかなか変わらない。
仕事は早朝が勝負、土日であっても早朝の時間は無駄にはできない。
そのように過ごしてどれだけの月日が経過したことだろう。
今日も少しばかり用事するが、さっさと終わって後は時間を持て余す。
さて何をしようかと取り敢えずコンビニで買った新聞に目を通す。
朝日を読んで毎日を読んで、産経抄に目が留まった。
石川啄木は息子を亡くした。
生後三週間だった。
愛児が誕生した日に処女歌集「一握の砂」の出版が決まった。
そして、見本刷りの仕上がった日が火葬の日となった。
歌集は愛児の出生届であり、短い生涯に父がはさんだ命のしおりであり、墓標である、産経抄はそう記し、愛児を亡くした日に石川啄木が詠んだ歌を紹介する。
「底知れぬ謎に向かいてあるごとし、死児の額にまたも手をやる」
眼前にその情景が浮かび凄まじいほどの悲しみが迫って息が苦しくなる。
調べると、この後2年も経たず啄木は肺結核でこの世を去った。
当事者は消え去っても文字が残されいついつまでも誰かの胸にありありとした情景が像を結ぶ。
あちらの世界で啄木は愛児と再会できたであろうか。
いずれにせよこの世でのあらゆる煩悶は一時のこと、ありとあらゆる重荷や苦痛からいつかは解き放たれ、やがては大きなものに包まれ癒される。
啄木について考え、きっとそのようであるのだろうと予感する。
2
ふと思いついて、ASH の A LIFE LESS ORDINARY と NU-CLEAR SOUNDS 、計12曲を iTunes でダウンロードした。
99年、映画「普通じゃない」をビデオで観てその主題歌が気に入って当時ASHをよく聴いた。
結婚当初のことであった。
iPhoneにその12曲を同期して、日曜午後、市内雑多な往来へ飛び出す。
懐かしい曲を味わいながら、時に早く時にゆったりと界隈を走る。
ASH のサウンドによって当時の様々な思い出がいくつも呼び覚まされる。
新婚新居の畳の部屋に置いた色鮮やか iMac Lime の姿がよぎる。
家に届いて電源入れた途端、iMac が笑顔マークのままフリーズし彼は起動せぬまま帰らぬ人となった。
そのように小さなことから大きなことまでうまく事が運ばず、将来を見通せないまさに、私自身の啄木時代。
働けど暮らしは楽にならず、友が皆我より偉く見える日々であり、若さゆえの無根拠な楽観以外、頼りにできるものはなかった。
振り返って強く思う。
結婚は、楽観ホルモンがまだほとばしる三十歳までにした方がいい。
歳取れば先行き不安に前途塞がれ、ますます尻すぼみ。
結婚という突然変異が、希望ではなく恐怖と不安の事象となっていく。
そんな状態で結婚したところで、アクセル踏めず、命の源である生殖細胞はそれぞれ老いくたびれて老けてひからび、一体、何の「始まり」であるのだと物語の神様はとうの昔にしびれ切らして、山場も大団円も何もない人生となりかねない。
何とかおかげ様、趣味も余暇もないような三十代をボロボロ突っ走り、ささやか未来が垣間見え、最近になってようやく再び、趣味である映画を観て、音楽を聴き、本を読めるようになってきた。
暮らし向きは少しマシになり、真紅の赤貧が、淡い薄紅くらいにはなっただろう。
ただし、星光出身であるから仕方ないことなのであるが、友が皆我より偉く見える日々は、恒常的かつ加速的であるようで、おいおい、君たち、どこまで偉くなれば気が済むのだよ、といったようなものであることは変わらない。
3
走り終え、ひと風呂浴びて、夏の旅程の予約を終える。
ついついYoutubeで、この夏訪れる彼の地の映像に観入ってしまう。
まるで恋するよう。
誰かが言ったが、北の大地は恋愛対象。
旅人はその地に恋い焦がれ、何度でもそこを訪れる。
特に道東は、一体どれだけの旅人の心を射止め郷愁をかき立て続けてきたことであろう。
子らもそうなる。
私たちが訪れ、子らが訪れ、まだ見ぬチビらが訪れる。
どうかこの先も日本が平和でありますようにと祈りたくなる。
と、こうしてる間に、二男を迎える時間が近づく。
今日が研修館出所の日。
この一週間について、話題は積もりに積もっているに違いない。
はてさて、彼は何を食べたいと言うであろうか。
どんなリクエストが飛んで来ても対処できるよう、父は腹を空かせて準備万端だ。