東京某所。
新春のやわらかな陽が注ぎ込むリビング。
愛娘と横並びソファに腰掛け、届いたばかりの年賀状に顔ほころばせていたマーさんの手が止まった。
星光恩師の年賀状に「光陰矢のごとし。今年、33期集まれんか」とある。
マーさんはその短い言葉を凝視した。
卒後27年、先生はお幾つになられたのだろう。
相当お年を召されたに違いない。
教室の隅々まで声響き渡る、活気ある英語の授業を懐かしく思い出す。
一年の計は元旦にあり。
マーさんは今年33期夏会を、その先生を囲む会にしようと決めた。
夏が近づき、章夫がSNSで案内を流す。
それが狼煙の役割を果たす。
各地校友らに情報が瞬く間に伝播していく。
傘寿に差し掛かろうという先生が来られるとあって、東京はじめ遠方からも何人かが駆けつけることになった。
出席者数は例年以上だ。
ここでグリが大阪随一の会場を押さえた。
直前になってスケジュールの調整がついて、なだれ込むように参加する仲間も少なくないだろう。
後はその日を待つばかり。
そして、この段階で私たちは、学ぶことになった。
出来事は、前に進むと、また新たな展開を見せる。
今度は先生から呼びかけがあった。
星光の校舎は新しくなった。
その全貌を知る33期は数少ないであろう。
私がプリントを用意し、ガイドを務めよう。
盛夏、セミが鳴き始める頃。
土曜日放課後、校門前で待ち合わせ、家族の同伴? 苦しゅうない。
卒後27年経過して、思わぬ課外授業が行われることとなった。
生まれ変わって新しくなった学び舎を、恩師と巡る。
最後の授業。
もちろん、毎年行われる星光大忘年会などで今後何度でもお顔拝見することであろうが、級友らと一緒になって説明を受けるといったようなことは、これが最後の機会かもしれない。
今朝5時、我が家末席の星光生が目を覚まし、机に向かう。
その様子を横目に結構たいへんだとは思うけれど、そのような日々によって無色透明な時間に意義が宿って力が結実していく。
その過程を励まし合い共有できる仲間のあることがどれほど素晴らしいことであるのか。
時が経てば経つほど深く理解できることだろう。