KORANIKATARU

子らに語る時々日記

ありふれた一日


月曜昼過ぎ、近鉄八尾を後にし今里で降り周辺を歩く。
風はあっても焼け石に水、蒸し暑い。
五分も歩けば汗がにじむ。

平野川を横切る。
汚い川と言えば昔から平野川が大阪の代表格である。
しかしいまだ鼻が曲がるほど臭いとは驚きだ。
この日本、これほど異臭放つ川には現在そうそうお目にかかれないだろう。

川を渡るとペットショップがあって、その斜め前に無宿者がうずくまっている。
向こう隣の立ち食いうどん屋から出汁の匂いが漂ってくる。

湿度高ければ、大阪はひときわ匂い立つ。
ナニワのリアルを嗅覚で感じつつ鶴橋まで歩く。


ちょいと時間つぶしに難波の本屋に立ち寄る。
事務所に戻りつつ電車で上念司氏の「高学歴社員が組織を滅ぼす」に目を通す。

真の不確実性に不断に挑まなければ組織は滅びる。
しかし高学歴者はリスク回避的であり安定志向であり自己保身的である。
世間体を重視し格上には卑屈におもねりと格下と見れば冷淡かつ居丈高になる。
だから、高学歴者が集まれば組織はダメになる。

そのような話が数々の事例をもって語られる。

誰であれ組織と関わらずには生きられない。
つまり「脆弱なマネジメント」と「現場の反乱」に否応なく向き合わざるをえない。
であれば、このままではヤバイというくらいの危機感を背に誰もがサバイバルしなければならない。

そのように述べられる末尾にかけて読んで気が引き締まり、鼓舞された。
真の不確実性に不断に挑まなければ滅びる、この言葉に出合えただけでも、めっけものであった。


夕食の支度ができる間、福田恆存の「私の幸福論」を読む。

午後に読んだ本がシュート連発の内容だとすれば、こちらは、華麗なドリブル。
その筆致に唸らされ続ける読書となった。

フィジカル滅法強いような安定感でボールがさばかれ続け、その軌跡に見とれ、気付けば、鮮やかなパスのごとく、言葉がこちらの胸に真っ直ぐ届く。

末尾の解説で中野翠さんが、福田恆存の述べた言葉を紹介している。

「唯一のあるべき幸福論は、幸福を獲得する方法を教えるものではなく、また幸福のすがたを描き、その図柄について語ることでもなく、不幸にたへる術を伝授するものであるはずだ」

この一節の凝縮に見られるように、随所に渡ってハッとさせられるような、なるほどうまいこと言うねといったどころではない、いつまでも胸に刻んだおきたいような言葉に満ちている。

本腰入れて読まねばならない。
しばらくカバンに忍ばせることにする。


食後、二男と受験時代の思い出話にふける。

送り迎えがあったので、よく一緒に過ごした。
二人で食事もしたし、風呂屋にも行った。

何もかもが懐かしい。

あれはあれで楽しかった、と二男が言う。

じゃあ、もし今6年生の夏に戻れるなら、嬉しいだろうね。

二男は私の言葉には返答せず、ただ、ぶるぶると首を横に振った。

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