1
いろいろと教えてもらう。
これはなんという料理なのか。
「エビタルタルアボガド」
なるほど、ちゃんと名前があるのだ。
これは?
「コーン&ミートパイ」
二男は出される料理の名を知っていて、私は知らない。
そのことに昨晩気づいた。
私自身は、和洋中というカテゴリーと肉か魚かといった大雑把な食材の把握しかしておらず、美味いと言って食べるだけであり、料理の名などには無頓着であった。
しかし、出される料理にはそれぞれ名があるのだった。
子らはそれを長い年月をかけて家内に教えられ、世間的な常識の範囲はもちろん我が家だけで呼び習わされるものであってもその名が言える。
星の名を知ったり花の名を知ったりするように、料理の名も知るべきことなのであろう。
名を知ってこそ、その世界の入り口に立てる。
2
引き続き、食事しつつ二男に教えてもらう。
先日、中国の留守児童について子らに毎日新聞の記事を読ませたばかりであった。
二男はそれについて学校で社会の先生に聞いたという。
そして、その問題の背景には中国の戸籍問題があるのだと二男は知ることになった。
二男が言う。
中国には農村戸籍と都市戸籍がある。
そもそもは農業生産人口を保つために採用された制度であり、導入は数十年前、それほど古くない。
農村戸籍の者は農村で農業に従事する建前となっているので、都市戸籍を取ることができない。
居住は制限され、進学では差別を受ける。
農村戸籍者でもお金があれば成績を買って、いい学校に子を通わせることができるが、そのような金持ちはほとんどいない。
都市部の大学は実質上、農村戸籍の子息に門戸を開いておらず、格差がますます広がっていく。
農村で農業するより経済成長著しい都市部で働くほうが、実入りはいい。
だから戸籍上の居住地はそのままにして、親は出稼ぎすることになり、子供たちは留守児童となる。
戸籍差別を撤廃しようという動きはあるものの、既得権者である都市戸籍者の抵抗は生半可ではない。
3
今朝5時。
仕事に出かけるため階下に降りる。
昨日夕飯の時間には仮眠していた長男がリビングで試験勉強に勤しんでいる。
聞くと、夜通しで取り組んでいるという。
徹夜すればいいってものではないと言うと長男はフッと笑った。
分かってないね、そう言いたそうな顔である。
前日振るわなかった、だから今日勝負をかける。
そういうことらしい。
試験中は徹夜するものだと教えたことはなく、むしろ逆効果だと思うので、このような仕方は友人らとのやりとりで覚えてくるのだろう。
効率云々以前、ここ一番、全開でド根性出すような経験も後々役立つこともあるだろう。
試行錯誤し自分なりの方法論をそのうち確立すればいい。
4
クルマを停め、事務所近くで朝食をとる。
毎度おなじみ、無職者であろう者が食事している。
昼日中も町を草履履きで徘徊しているこの人物は、年の頃50代、貧相な風体であり資産家には見えず、いつもうっすらニヤけていて働く男の顔でもない。
おそらくは生活保護など受給し、着の身着のままひとり悠々自適に暮らしているのだろう。
大阪においては、既得権者と言えるのかもしれない。
こういった人物が町をぶらぶらしている。
見かける度、その平穏な様子に薄気味悪さを覚えてしまう。
そのように思ってはいけないのかもしれないと気が咎め、決まって目を逸らし名も知らぬその人物を視界の外にする。
なぜ薄気味悪いのか、いまだによく分からない。