KORANIKATARU

子らに語る時々日記

人生の旨味成分が詰まった場所


毎度おなじみFMココロを聴きながら帰宅する。
二号線、西へ向かう道は歌島と玉江橋辺りで特に混む。
マーキーが叫ぶ。
ユーガッタ、ダンスッ。
俳優ならマッティ・ペロンパー、DJならマーキーであろう。

ノリノリの音楽が始まり、そしてクルマはノロノロと進む。
そのようにしてようやく玉江橋に差し掛かった。

交差点の手前側、庄下川が南北に流れる。
日暮れ時、幾種もの野鳥が飛び交い、なかなかの風情が醸される。
都会ではそうそうお目にかかれない光景だ。
冬場にはユリカモメが見られ尼崎を少しだけ美しく彩る。

何年も通る道であるが、玉江橋が小高い丘になっているとはじめて知った。
信号待ちする前方、彼方まで真っ直ぐ西へと続く二号線を見下ろせた。

視界のフレームのなか二号線にかかる数々の横断歩道が一望見渡せる。
遠近法の効果によって、遠く離れれば離れるほど小さくなって、そこを渡る人やクルマの動きがまるで早送りしたみたい、コミカルに見える。


今日は市内各所を回った。
仕事先を巡りつつ本を三冊買う。

若き男子の間で話題だという「僕は愛を証明しようと思う。」を環状線に乗りながら読む。

ナンパマニュアルを小説仕立てにしたものだ。
複数のエピソードが織り成され、様々な人物が交差するそのパノラマが小説の醍醐味だとすれば、描写の旋律と起伏にやや物足りなさを感じるものの、十分に小説であり読み応えある内容となっている。

どれどれと冷やかし気分で手にしたのであったが、ぐいぐいとその世界に引き込まれることになった。

しかも、学ぶべきことかなり「大」と言える作品だ。

私自身、ナンパになど無縁な人生であったし今後も無用であるが、一次元視点を上げて見たとき、ここに散りばめられた知識については是非とも心得ておくべきことであると感じた。

「どう思われたって、失うものはない」という思想が根本にくる。
この不敵な思想は強力だ。
恥辱や屈辱にビクともせず、果実に手を伸ばし、はねのけられてもまた平然と手を伸ばす。

精神的なゾンビとも言えるこのタフさが身に備われば顰蹙でさえ糧となる。
下心が透けようが、邪心が垣間見えようが、それが何か、と柳に風と受け流し手法を洗練させながらアプローチを繰り返す。

これはまさにサバイバルの要諦とも言うべきものであろう。

広く処世だけでなく、ビジネスにおいてもこのようなメンタルタフネスは欠かせない。
だからもちろん、狭くナンパという世界においても有用で威力を発揮する。

主人公のわたなべ君の一次元上に永沢という人物が置かれているように、読者の一次元上に作者が位置する。
作者は顰蹙を買う確信犯であり一次元上の視点から物語を綾なし読者を導いていく。

ナンパを巡る叙述においては、心理学的な小手先の技術についてもそれらしいような大仰な横文字で書いて読者を煽って鼓舞して、その気にさせる。
ここらあたり、作者の言葉のハンドル操作とユーモアセンスとサービス精神は抜群だ。

そして一方、終盤の伊豆のシーンについては、全く異なる筆致で登場人物の奥深く潜む心の陰翳と表情を描き出し、まさに「愛」をそこに現出させる。
それくらいの力ある書きっぷりを平気でやってのける。

散りばめられた知見はどれもこれもタメになるし、終盤にかけての趣きたっぷりなギアチェンジは見事であった。

前半と終盤の対となるような内容は、おそらくは読者に対する「実証実験」なのであろう。
検証加えた後の次作が楽しみとなってくる。
さて作者はどちらに舵を切るのであろうか。


帰宅する。
リビングに流れる音楽は家内が最近お気に入りの小曽根誠のピアノ曲

家内がすき焼きの準備をする間、今日買ってきたよというシャツ2枚に袖を通す。

サイズはピッタリ。
なかなかいい感じだ、ありがとう。
これを土曜の同窓会に着ていくことにする。

二男が私の帰りを知って現れリビングで宿題を始める。
長男は着替えて出かける支度に忙しい。
食事はまだ、と家内をせっつく。

私は冷蔵庫からお中元で頂いたアサヒスーパードライをグラスに注ぐ。
キンキンに冷えている。
ゴクリゴクリと最初の一杯を飲み干す。

一日が当たり前のように過ぎ、今夜も当たり前のように家族四人がリビングで顔を合わせた。
それぞれが一日一日を丁寧に過ごし、その一日を夕食の際、家族で共有する。
このひとときに、人生の旨味成分のほとんどが詰まっている。

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