KORANIKATARU

子らに語る時々日記

マジで?この先ほんまにたいへんやんか。


気温に湿度が加勢し暑さが無慈悲さを増していく。
往来の日なたを10分も歩けば汗が噴き出し顔が歪み始める。
頭がクラクラし、だんだん蝉の鳴き声が耳鳴りのように思えてくる。
さらに10分歩けば命に関わる、それくらいの暑さである。

駅に退避し日陰に身を潜め電車を待つ。
売店で水とAERA最新号を買う。

ページをめくると巻頭に内田樹さんのコラムがあった。
先日急逝した33期内浦君が内田氏の処女出版本の編集者であったという話を思い出す。

国立大学から文系学部が消えようとしていることについて内田氏は次のように述べている。

『今の教育行政が目指しているのは「能力は高いが低賃金で長時間労働できる労働者」と「定型的な消費欲望に駆動され広告に煽られて商品を買う消費者」の大量生産だけである。(中略)「エリート」は内輪で育成するから公教育はもうエリート養成について配慮しなくてよい。それが「文系不要論」の本音である』

見事本質を喝破したその言辞に、暑さ忘れて駅のホームで唸らされる。

経済優先の思想に基いて国の教育をグランドデザインする立場の者が仮にいたとして、その者から見れば、これほど目標を端的に言い得た言葉はないであろう。

教育政策がこのような方向性のなかにあることは一面も二面も確かなことであろう。

経済活動は誰にとっても重要だが、その走狗の役割を果たすことが主となる人生であれば、虚しいことに違いない。
お国はお国として、別途に個々対策練るしかないようだ。

我が子にも是非読ませようとページを折ってマーカーで囲んだ。


大阪東部へと向かう電車の中、昼に届いたばかりの榊原英資氏の著作「中流崩壊 日本のサラリーマンが下層化していく」のページをめくる。

図表が多く日本経済の現況が時系列でとてもよく理解でき、著者の主張を強く裏付けるものとなっている。

他の先進国同様、日本はゼロ成長の時代に入った。
グローバリゼーションの進展で貧困層が増大し、日本において貧富の格差が拡大し続けている。

分厚い中間層を成していたサラリーマンが『プロフェッショナル』と『単純作業に従事するホワイトカラー』に分化し、後者が没落し下層化していった。

個々においては、独自の技能を身に付けそれを磨き続ける『職人』としての在り方を目指すしかないという厳しい時代となっていく。

社会においては、所得の上昇ではなくその再分配が大きな課題となった江戸時代中期以降の在り方を参考とすべきだろう。

江戸の三大改革と言われる享保、寛政、天保の改革は、『倹約をすすめ、物価を安定させ、養生所をつくる』など、庶民の生活を安定させるために所得の再配分を目指した改革であった。

江戸時代を参照しつつ日本はヨーロッパ型の福祉社会へと変貌していかざるをえない。

そのように要約できるだろうか。

先人らの築いた富の蓄えは先細っていき、私腹肥やそうにも経済は停滞したまま、稼いだ端から召し上げられる。
このような時代となったとき、私達はどのようにすればいいのだろうか。
お金を追っても羽はえて飛んで行くだけ、幸福には到達できなさそうである。
能力だけが自らの証となっていくのだろう。


事業所訪問を終え、帰途の車内。
AERAの続きを読む。

小渕政権下始まった構造改革について、その政策を牽引した竹中平蔵氏と中谷巌氏が取り上げられている。

日本的慣行であった終身雇用や年功序列といった旧態依然を脱し、自由化、国際化、規制緩和を合言葉に「頑張る人が報われる社会」を国全体で目指した結果、橘木俊詔氏の言葉によれば『日本では中間層が崩壊過程にある。貧富は世襲され、機会の不平等が生じている』という事態に至った。

それについて竹中平蔵氏は、『これまでのような分厚い中間層の復活は難しい。新たな繁栄の仕組みが必要だ』と語り、一方の中谷巌氏は、次のように述べる。

グローバル・スタンダードに合わせることが日本の活性化につながると考えたが、間違いだった。新自由主義は能力のある人には都合がいいが、利益追求という大義の前に信頼・平等・連帯といった社会的価値を解体する危険思想。孤立する個ではなく集団としての経済システムが課題だ』

中谷巌氏と言えば、星光33期においては馴染み深い存在だ。
能力主義や利潤追求だけでは、社会は世知辛くなっていくだけということなのだろう。
自分で自分の首を絞めるような、不毛への道行きを突っ走る失われた10年であり20年であったということなのかもしれない。


帰宅する。
昨晩、長男が釣った小アジを家内がフライにし、釣り場でもらったサザエをつぼ焼きにしてくれる。

新鮮だからやたらに美味しい。
ビールがすすむ。

祭りの屋台で買えばつぼ焼きは1個600円は下らないから、一人3,000円以上食べたことになるなど上機嫌で子らに話しつつ、読んでおくといいよとAERAをリビングのテーブルの上に置いた。

子らがじっくり読むかどうかは分からないが、ペラペラとめくるくらいはするであろう。

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