家内に来客があってその母子らが自宅に宿泊するという。
旧交を温める妨げとなってはならない。
適当に時間を潰し遅くに帰宅することにする。
はてさて。
飲みに行こうとも思うが、いきなり誰か誘っても暇持て余している者などいないであろう。
一人で飲むことを考えるが、ぶらり独り身で滞空してくつろげるという店がない。
家で過ごすことに適応し過ぎると、万一放り出されたとき途方に暮れることになる。
風呂に入って、マッサージを受けることにした。
近所の温泉スパでカラダを温め、そして、馴染みの店で90分のマッサージを受ける。
疲労感はなかったのだが、揉んでもらうとカラダが凝りに凝っていることが分かった。
痛くしかし気持ちのいい時間を微睡んで過ごす。
無為な領域を思考がほっつき歩くのに任せる。
一体なぜカラダなんてものがあるのだろう。
なければ疲れやだるさなどと無縁に過ごせるのに。
家康はこのことを言ったのだろうか、カラダこそがまさに重い荷だ。
しかし重荷なければあまりに軽すぎて1分1秒すべてが蒸発していくようなものなのだろう。
意識を時間につなぎとめ、何かを真面目に思うようにカラダというものがあるのかもしれない。
ほどよく空腹となって、ガード下の居酒屋のカウンターで一杯引っ掛ける。
いつの間にか、お酒に滅法弱くなった。
ビール2本が限界だ。
電源が急に落ちたみたいな眠気に襲われる。
ネットで検索するが近所のビジネスホテルは満室だ。
まもなくお盆、夏休みシーズンである。
無理もない。
仕方ないので事務所で少し休み、深夜に差し掛かる時間帯、気力振り絞って電車で帰る。
幸い座れたが、寝過ごさないよう気を張っていなければならなかった。
12時前、無事到着。
家が一番。
この安心感を忘れることはないだろう。
静かにドアを開け、忍び足。
来客者に気を使わせては悪い。
というより、もはや起きているのが限界、挨拶する気力もない。
バタンキューと寝てしまう以外のことは考えられない。
一階の和室でそのまま横になった。
空調が効き始め、木と畳の匂いがますます心地いいものとなっていく。
時計は12時。
5時間は眠れる。十分だ。
そして、あっと言う間に朝となった。
カラダがだるい。
マッサージによって奥深く眠っていて疲れが全部カラダの手前側に引っ張りだされてしまったかのようだ。
それでも仕事。
生欠伸噛み殺しつつ、事務所まで車を走らせる。
今日は、終日、外回り。
ツバメ君に運転してもらい、軽めの負荷で過ごすことにする。
たまには、そのような日があってもいいだろう。