1
帰宅し、二男と向かい合い夕飯を食べる。
こんがり焼いたニンニクのスライスとともに肉を頬張る。
二男に教えられる。
ニンニクはピラミッド建造に従事した人夫さん達のスタミナ源だった。
私が言う。
白飯は江戸の庶民にとってご馳走、力仕事する時くらいにしか口にできない貴重な食べ物だった。
それに、肉自体がスタミナ食だ。
日本人が長寿になったのは肉を食べるようになったからという説まであるくらいだ。
今日の夕飯は最強の男子食だと言えるだろう。
二男がニンニクを乗せた肉に続けて飯をかき込む。
その姿を見れば割増で馬力が湧いてくる。
熱暑など物の数ではない。
2
食事しつつ、先日見たハラハラドキドキの映画について二男に話す。
タイトルは「クスクス粒の秘密」。
フランスで暮らすチュニジア系移民の家族を巡る話である。
テーマはクスクス、食べ物だ。
主人公は61歳の男。
リストラに遭う。
主人公のパートナーは小さいながらホテルを独力で切り盛りしている。
だから、主人公は少し引け目を感じている。
主人公にもメンツがある。
パートナーに頼るのではなく、自ら保有する廃船を改修し、独立してレストランでも始めようと思い立つ。
しかし、そのための公的な手続きや融資申し込みなど、事務も交渉も主人公にとって不得手な領域だ。
船の解体作業一筋の人生であった。
パートナーの娘は口も達者で行動力にも長けている、その力を借りることになる。
3
主人公には元妻のもと家族があった。
大家族だ。
元妻は、今のパートナーとは好対照、やたらと口うるさいが料理の腕前は抜群で、特にクスクスは絶品である。
一方、パートナーのクスクスは、ホテル常連客にも酷評されるほどに救いようがなく酷い味であり、元妻のものとは比べ物にならない。
主人公は元妻のクスクスをレストランのメニューのメインとし、元妻の娘には料理を手伝ってもらい、息子らには廃船の改造を手伝ってもらう。
主人公には何もとりえがなく、周囲がこぞって彼を助けることになる。
そして、いよいよレストランの真価が問われるときがやってきた。
銀行の融資はまだ決まっていないが、前宣伝としてパーティーを開催することにした。
市の錚々たる面々を招き、そこでクスクスの美味しさについて理解を得れば、何よりも強固な後押しとなって融資も決まり、噂も広まり、経営は順調に進むだろう。
そのように主人公は目論んだ。
パーティーに向け、家族が総力を結集する。
しかし、ところが、二人の息子は主人公に瓜二つだった。
兄も弟も、娘に比べてはるかに頼りない。
元妻が作った百人分のクスクスを兄がクルマに積んでレストランまで運ぶ。
そこでバトンタッチ。
料理の鍋をクルマから降ろし運ぶよう兄が弟に言う。
しかし、どうやら弟は肝心のクスクスの鍋だけをトランクに置き忘れ、そして、兄貴は、用は済んだとクルマに乗ってどこかへ走り去ってしまった。
クスクスがないことに気付いて娘らが何度も電話をかけるが携帯はつながらず、行方も分からない。
4
パーティーは佳境にさしかかる。
ここまでは好評だ。
いよいよ、本日のメイン。
来賓者はクスクスを待つ。
首を長くし、クスクスを待つ。
しかし待てど暮らせどクスクスが給仕される気配がない。
クスクスを待つこの時間、観る者も待たされるかのよう、ハラハラ・ドキドキがたまらない。
弾丸が飛ぶわけでも、刑事に追われるのでも、モンスターに襲われるのでもない。
しかし、それでも、脂汗かくような緊迫感に襲われる。
観る者はじっとしていられない。
ああ、クスクスがない。
起死回生、主人公の人生再チャレンジの切り札となるはずの、家族の明日の糧となるはずの、クスクスがない。
一体、どのような顛末に至るのだ。
ハラハラドキドキは増すばかり。
クスクスを積んだままとは知らずクルマで走り去った息子の行方は以前定かではなく、元妻は余ったクスクスを浮浪者に配るため出かけてしまって連絡がつかない。
5
クスクス不在の緊迫の場でパートナーの娘が一肌脱いだ。
しびれ切らす客らをなだめるため、アラビック音楽をバックに、きわいど姿態で踊り始める。
その踊りは痛々しく、極限の痛々しさだからだろう、不思議な荘厳を生む。
客の視線は踊りに釘付けだ。
娘が踊って時間を稼いでいる。
機転を利かせ、事情知ったパートナーが意を決しクスクスを作り始める。
ここで観る者は、まさかの唖然茫然、目を塞ぐ。
ホテルの常連たちの言葉を思い出す。
彼女のクスクスは、救いようもないほど酷い味なのだ。
パートナーがクスクスを搬入するシーンで映画は終わる。
ハッピーエンドとは正反対、すべて台無し、万事休す、という余韻が重く苦しくのしかかる。
痺れるようなハラハラドキドキと人生の真実の一面が味わえる。
強烈さにおいて、凄みさえ漂う映画だ。
6
長男は日中のラグビーの練習の後、友人宅にお邪魔している。
忙しい合間を縫って友人らとスケージュルを合わせ、学祭出し物のダンスの練習をしているという。
友人の父親が世話役になってくれているいうことだ。
旅行の支度していた家内が昔の絵本を取り出し夕食中の私達に見せてくれる。
「ラヴ・ユー・フォーエバー 」
名作だ。
長男が生まれた直後、私が買って家内に渡したものである。
そのなかに、思春期に差し掛かった男の子が、変な音楽を聴くようになる場面がある。
そこを見て皆で笑う。
ちょうどいま、我が家はこの絵本のこの箇所に差し掛かっている。
学祭のダンスに使うテーマ曲はやたらにやかましく、長男は毎朝大音量でそれを聴いてから出かけていく。
絵に描いたような、とはまさにこのようなことを言うのだろう。
我が家順調に、男子が成長しつつある。
まるで絵本のストーリーを順にたどっていくようであり、笑って今を実感し、その絵本のテイストと同じよう何とも安らいだ気持ちとなる。