KORANIKATARU

子らに語る時々日記

彼らのマドンナは試合中一度も離席しなかった。


日曜午後、スポーツクラブでもらったTシャツに短パン、コンビニに行くのも憚られるような寝間着レベルの出で立ちにハンドタオルを首に巻き京セラドームに向かった。

エグゼクティブシートは正面の入り口から入って至近の場所。
ダイヤモンドを真正面に見据えるネット裏の特等席である。

着席しあまりに真正面間近であることに感動し家内に写メを送った。

夏の旅を終えた途端、各自別行動となる我が家である。
あれやこれやで皆忙しく、四人揃うのは難しい。

席は四つあったが、どうやら長男は模試やら練習やらで来られず、家内も急な用事があって間に合いそうにない。

メッセンジャーの豪速球とずっこけるほどブレーキの効いたカーブに舌を巻きつつ、二男の到来を待つ。


私の真ん前には横並びで学生さんが座っている。
右から、イケメン、マドンナ、カタブツ、ヒョウキンと並ぶ。
男子3人、女子1人という一行だ。

少し様子をうかがうと、マドンナはイケメンに夢中で、カタブツとヒョウキンはマドンナに恋していて、しかし、マドンナに対するイケメンの気持ちは定かではない、という構図が浮き彫りとなった。

イケメンが3回裏から6回裏まで席を空けた。
トイレにしては長すぎる。
タイガースの攻撃の際に席を立つのだからトラキチでもない。

京セラ施設の見学でもしていたのか、隣のマドンナの存在が重苦しくて避難したのか。
あくまでイケメンの真意は推し量れない。

イケメンが離席している間、マドンナはやたらと頻繁に右側に視線を走らせる。
野球は真正面で繰り広がられているが、まだかまだかと必死にイケメンの気配を探し求めている。

マドンナの左側にはカタブツが座る。
マドンナは美し過ぎる。

ナチュラルに美しく、原石が美なのであるから、この先この美はますます磨かれ洗練されることになる。

カタブツの手にはとても負えない。
交わされる言葉はなく、ただスティックポテトを寡黙交互に食べ続けている。


ようやくのことイケメンが戻ってきて、マドンナの「右向き病」は治まった。
しかし、ここイケメンとの間にも会話はない。

カタブツとヒョウキンが離席し、イケメンとマドンナは二人きりとなるが、様子はどこまでもぎこちなく依然言葉はかわされない。
マドンナが叩く応援バットの音だけが無味乾燥に響く。

しばくらくしてカタブツとヒョウキンが戻ってくる。
今度はヒョウキンがマドンナの横に腰掛けた。

カタブツがひたすら助六寿司などを食べ続ける間、ヒョウキンはにぎやか楽しげにマドンナに話しかけ、マドンナの表情にやっと色が灯る。
ヒョウキンは、柔らかな雰囲気を醸し、なかなかに好人物だ。
しかしルックスは下層に属する。

四十を越えた年嵩である私から見れば、マドンナはこのヒョウキン君を選ぶべきであると明快に分かる。
その方が楽しく、素直な親密さを築け、おそらくは心温かな交際が末永く、もしかしたら死が二人を分かつまで継続することであろう。

しかし、四十越えた年嵩である私は同時にこの二人が結ばれることはないと知っている。

マドンナの心はイケメンに占められている。
そして、イケメンはその心をかき乱す。

どうにも歯がゆいような、不毛な恋愛ごっこがマドンナの心を捉えて離さない。
ヒョウキン君の出る幕はない。


試合中、マドンナは一度も離席しなかった。
京セラドームのエグゼクティブシートは席の前後が狭すぎて、横並びシートの中央からは、まさかラガーマンではあるまいし隣人らの膝を踏みつけるようにして押しのけ這い出るなど容易にできるものではない。

奥ゆかしい美人であるマドンナであれば、なおのこと。
そのような無作法と気まずさには耐えられないであろう。

だから、トイレにも行かずじっと座ってイケメンの挙動に翻弄され続ける時間を過ごすことになる。
野球はどっちが勝ったのだ、そんなことには関心も向かなかったであろう。


美しくまとまった完璧な勝ち試合であった。
メッセンジャーの投げるボールは凄まじく、ベイスターズ打線が打ち崩せるはずもなかった。

マートンが放った左翼スタンドへのホームランはロケット弾のごとくの迫力であった。

満塁の場面、ゴメスの打球は惜しくもスタンドには届かなかったが天井にぶつからんばかりの大飛球であった。
息を呑みボールの軌跡を追うあの瞬間、まちがいなく時間は止まっていた。
どんな綺麗な花火よりもくっきりと瞼に焼きつく大飛球であった。

二男は野球を堪能し、たまたまこの日観戦に来ていたタコちゃんご子息も大満足した。
そうそうこの日、タコちゃんが来ていて、聞けば、きょう君も奥様伴い来ていたという。

この日記のビジターの方には少し説明をした方がいいかもしれない。

タコちゃんというのは、阿倍野・天王寺の赤ひげこと田中内科クリニックの院長、誰からも慕われ頼りにされる内科の名医であり33期交流の要のような存在だ。

一方、きょう君というのは、きょうこころのクリニックの理事長で、昨年トライアスロン中に倒れ死線彷徨って奇跡的に蘇生し、その経験から更に精神科医としての奥行きを増した臨床の場での第一人者、3月生まれなので33期においては末っ子のようなもの、人懐っこく、仕事においては実力派といった存在である。

もし、タコちゃん、私、きょう君が、マドンナと同席していたとすればどうであっただろうか。

観戦中にマドンナを無言で孤立させるようなことはなかったであろうし、自然な気配りでトイレ休憩させてあげるタイミングを失することもなかったであろう。
もちろん、野球についても采配まで含めて説明し選手の裏話なども交え、マドンナに野球への興味を持たせることもできたにちがいない。

そして謙譲の美徳、恋慕押し殺し、絞り出すような拍手と笑顔でイケメンのもとへと向かうマドンナを祝福し、お節介にもあれやこれやその恋が成就するよう手助けまでするのであろう。

いつだってマドンナは幸福に背を向け峻厳な道へと突き進んでいくのである。

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