KORANIKATARU

子らに語る時々日記

普段とは異なる目線になれる場所


持つべきものは友。
この日どうしても企業価値の評価方法やその手順について概要を即座知る必要があった。

案件に関わったのは数年前、記憶は風前の灯だ。

かつて読んで感動した名作「M&Aドキュメント事業売却」を引っ張りだし再読しつつ、手付かずのまま放置して数年にもなるダイヤモンド社の「企業価値評価」をペラペラめくり、頂戴しながら書棚の肥やしとなったままの「M&Aの戦略と法務」を傍らに置く。

知悉するには時間を要する。

ふと、章夫の顔が思い浮かんだ。
人間追い込まれれば知恵が出る。
企業価値評価と財務DDと言えば清水章夫の独壇場ではないか。

清水章夫と言えば、今は野球選手を思い浮かべる人が過半であろうが、いずれ知名度において公認会計士・税理士の清水章夫の方が上回るであろう。
午後急遽、章夫の時間をもらい、レクチャーを受けた。

分かりやすい絵柄用いての説明を受け、今後の流れと要所と役割分担と契約関係の構図が俯瞰できた。

これで十分。
見通しができさえすれば、あとは具体の作業を織り込んでいけばいい。

大阪星光33期には精鋭が揃い、いつ何時でもハイレベルなグループワークが可能だが、それは値付けようもなく、プライスレス。

清水章夫については、単に上っ面の数字を振り分けるだけの凡百の会計担当とは大違い。

数字には奥行きと流れがある。
それを感知できるセンスが備わっていて、数字を解釈し取り扱う法的知識とその行間の意味を瞬時に見抜けるほどの場数を経ている。

同じ名札つけた職業者でも、その実力のほどは、まさにピンからキリまで人それぞれだ。


帰宅しクルマを玄関前の駐車スペースに停め、そこで一人静かに過ごす。
辺りはすっかり暗くなっている。

グリルシャッターのスリットの向こう、勤め終え帰途につく人影の流れをぼんやり眺める。
道行く人は誰もそこに停まる車内に人がいるなど気付かない。

かつて長男と同じように車内に留まったことがあった。

そのとき助手席の長男はおにぎりとお茶、私はサンドイッチと缶チューハイを手にしていた。
まるで容疑者宅を張り込みするデカ、その先輩後輩みたいにあたりうかがいつつ喉に流し込み、二人で話し込んだ。

たまに違った場に身を置くことは案外大事なことであろう。
普段とは違った目線になると、思考が活発となる。

座っていると、どこからともなく「考え」が私に舞い降りてきた。
これで翌日の仕事への処し方と心構えが定まった。
それをiPhoneにメモし、仕事の鎧兜を脱ぎ、クルマを降り玄関をくぐる。


韓国が拡声器放送によって北朝鮮の最高尊厳の威厳を損ない南北の緊張が一気に高まった。
このニュースを聞いて「うちの話ではないか」と苦笑いした女房持ちは数知れないであろう。

家に帰るのはまるで猛獣の生息域に足を踏み入れるようなものだとこぼしていた知人男性の憔悴したような表情が思い浮かぶ。

猛獣には正当防衛など通じない、身を潜めて息を殺し死んだふりし続けるマイホーム生活を余儀なくされているという彼については2013年9月18日の日記に書いた。
二年前に会って以来、その後音沙汰はない。

男には居場所が必要だ。
たとえ三等船室であっても、精神の独立が保てる場がなければ男子の気概などみるみるしぼんで覇気も消え失せる。
つまりは雄時が枯れることになる。

リビングでは心ここにあらず、という男子の寡黙な活性は保持できない。
そもそもが定住には不向きで、流浪が本質。
自らを刷新し続けるため外界を遮断できる身の置き場が男子にはいくつも必要となる。

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