KORANIKATARU

子らに語る時々日記

日常の1コマが秘める美しさ

台風一過で暑さぶり返した大阪であった。
北摂方面を回って夕刻、スパに寄ってから無人の事務所に戻る。

注文してあったDVDが数枚届いている。
コンビニで買ったサンドイッチで夕飯を済ませ「白夜のタンゴ」を見始めた。

冒頭、アキ・カウリスマキが言う。
タンゴ発祥の地はフィンランドだ。
アルゼンチンではない。
船乗りがウルグアイに伝え、そしてそれがアルゼンチンに伝わった。
フィンランド人は謙虚だからそのルーツについて声高に主張しない。

タンゴと言えばアルゼンチン人の魂のようなもの。
ブエノスアイレスのタンゴ奏者らはカウリスマキの言葉を受け入れない。
そんな馬鹿な話があるものか。

彼らはその耳でフィンランドのタンゴとやらを確かめるため旅に出ることになった。

映像の1シーン1シーンが、印象深いスナップ写真で構成されるかのような映画である。
ブエノスアイレスの何でもないような日常のシーン、人々の表情が写し取られていく。

遠い異国なのに郷愁のようなものが湧き上がってくる。
その昔、数名ほどはアルゼンチン人と話したことがある。
その顔が浮かぶ。
彼らの故郷の空気を肌で知るような映像体験だ。

舞台はフィンランドへと移る。

先日北海道を訪れたばかりでなので、映像で捉えられる北の地の光景に近似のものを感じ懐かしい。
ここにおいても、人々の日常の1コマ1コマ、風景が丁寧に映像に収められていく。

風景、人、そして、何よりも音楽。
何もかもが素晴らしい。
随所に織り込まれるタンゴの旋律と歌われる言葉が、映像によってすっかり心開かれているものだから、深いところに哀歓たっぷり情緒深く届いてくる。

音楽によって、異国の人々が通じ合う。

旅した三人は達観に至る。
タンゴ発祥の地など、どうでもいい。
そこに心があるように、つまりは、フィンランドにもタンゴはあった。

心が震えて仕方がない。
何と温かい映画なのであろう。

たったの90分足らず。
どうでもいいようなテレビ見るなら、こちらの映像に揺蕩う方が断然いい。

何気ない映像にはっとさせられ、私たちが日々見逃し取り逃がし続けている、日常の1コマが秘める美しさに気づくことができる。

この映画世界に感応できれば、瞬間瞬間を味わえるような僥倖へと至ることになる。
ただそこに在るだけで、万感胸に迫ってくるような官能体験。

どのみち生きるのであるから、無味乾燥であるよりはくっきり彩りある風景に囲まれた方がいい。
そのような視力が備わるのは、よきことであるだろう。

北海道で、子らは旅する老夫婦を目にし胸打たれ、ただただ広がる大地と空と海に息を呑んだ。
在ることの意味を感知し、在ることを味わい尽くすための予行演習となる旅であった。

この映画も必ず見ておいた方がいい。

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