KORANIKATARU

子らに語る時々日記

幸福な原風景を内蔵すること


なんて寝心地がいいのだろう。
フカフカ特大のベッドに横たわる。
場所は超一流ホテルのスイートルーム。
兄弟4人で広い空間のなかくつろいでいる。

目が覚める。
私は1人。
和室に敷いた布団の上、タオルケットをかぶっている。

まだ夢の感覚が残っていて、寝起きは爽快だ。
本当にフカフカのベッドに寝そべっていたのかのようである。

夢の登場人物は決っている。
というよりも、夢はほとんどその場その瞬間に忘れ続けられていくだけであるので、記憶に残る登場人物が決っている、といった方が正確かもしれない。

私の実の兄弟。
または小中高大の友人。
大体が10歳から20歳くらいまで。

ここから類推してみる。
意識の源泉は10代にある。

その場所を原風景としながら、私たちは日常を過ごし未来へと向かう。
だから私たちはいつまでたっても中3くらいの気分のまま、夢にはもっぱらその頃の登場人物が姿を現す。

この類推を踏まえるなら、ちょうど我が子らはその原風景の生成過程にあることになる。
おそくらは、非常に大切な時期なのであろう。

内なる感覚と外部に広がる現実が融合し折り合いをつけていく、人としての地盤形成の激動の過渡期と位置づけるられる時期、そう言っても大袈裟ではないかもしれない。

10代で築かれた心象風景を携えて彼らはこの先の未来へと羽ばたいていくことになる。
だからこの時代が困窮と苦しみに満ちただけでのものであったり、その反対、赤子のように揺り籠で安眠するだけのようなものであったりすれば「現実的な幸福」といった体感を得られず、羽ばたくなど無為だ億劫だという末路になりかねない。

後年、夢が繰り返し「自らの原点」を示唆し語りかけてくることになる。
それが目を覆いたくなるようなものなのか、自己を日々再生してくれるようなものなのか。
その差は甚大だ。


朝日新聞では今日からリクルート社の受験アプリについての連載が始まった。
第一回はその誕生秘話といったような話であった。

当時、予備校一つとっても受験生の間に格差が生じ始めていた。
経済的にまたは物理的に予備校へのアクセスが困難な者が数多く存在していた。

受験アプリが、そのアクセスの道を切り拓くことになった。
学ぶ意志のある者にとって恩恵はとてつもなく大きく、事業として成立させた立役者らの功績は称賛に値する。

韓国に先例があった。
さすがに受験大国。
メガスタディというネット予備校が当たり前のように浸透していたのだ。

それを手本に、メチャスタディというプロジェクトを立ち上げ、それが受験アプリとして結実したのだった。


ところで韓国といえば先日のニュースでOECD加盟国のうちの自殺率で二年連続のワーストとなったと報じられたばかりである。

韓国では人口10万人あたり29.1人が自殺する。
OECD加盟国の平均が12.0人、ワースト3位の日本が18.7人。
ダントツの一位が韓国で、しかも更に微増傾向にあるのだという。

彼の国では徒手空拳の殴り合いのような競争社会が激化の一途をたどり、身も蓋もないあからさま格差が著しく拡大し続けている。
さらに窮屈なことには、金銭や学歴以外の価値観にも乏しい。
容姿にこだわって当たり前のように整形するという国民性からも価値観の底の浅さがうかがえる。

精神的に病むものが急増し、儒教の国なのに子は親を虐待し、勝者はあくまでこれみよがしであり、敗者の肩身はますます狭くなる。

対岸の火事だと憐れに思って済まされない。
他山の石というよりは近所過ぎて、まるで日本の行く末を暗示する先行事例といった何やら得体のしれないような戦慄をさえ覚える。

経済政策を誤れば、日本だって、そのような姿に近づきかねない。
予兆が現れ、予備軍も散見される。


子供には話しておかねばならないだろう。

世を渡っていくためには実際的な実力や能力は必ず必要である。
しかし、それは多様であっていい。

一つのモノサシでばかり見るのではなく、異なる視点、切り口によって人を再評価できる多層性が備わってこそ豊かな社会と言えるだろう。

何をするにしてもあらゆる分野で勉強は大切だが、そもそもは、自らの人生を掘り下げ理解を深めるためのものであるし、社会に貢献し誰かのためになるのが勉強なのであって、競争のためだけの勉強というのは一種の倒錯なのである。

中身と目的が吟味されない競争の不毛さはそこにある。

競争にだけ焦点をあてる近視眼は、他の事への視力も弱め、いざとなれば唖然とするような短絡、何の独創性もない自死という答を導いてしまう。
韓国ではそのような土壌が形成されてしてしまっているのかもしれない。


自殺については以前の日記でも何度か取り上げたが、病を苦にしてといった類のものなどおいそれと言葉挟めない例もあるにせよ、必ず回避すべきものであるように思える。

生き延びれば、ああ、あのとき死なないで良かった、と心底思える日が来るに違いないのである。
時間は巡る。
悪い時がたまにはあっても、いい時もあって、平和な日本、いい時の方が必ず多くやってくる。

そもそもが、幸福な原風景を内蔵しているはずである。
幸福な在り方を、夢が毎夜呼びかけてくる。
和室のマットがフカフカのベッドへと変貌する豊穣な世界に私たちは属しているのである。

静かな気持ちで内に意識を開いて、例えばもううんざりだと言うほどにたっぷり眠るなどして外界を遮断することも大切なことであるはずだ。
内と外であれば、内の方が遥かに大事で、そこを取り違え、外にばかり気を使い他者の評価におもねる真面目さは、結果的に自分を蚊帳の外にしてしまうという短所を併せ持つことも知っておくべきだろう。

誰にも備わっている内なる世界に目を開けば、必ずもっといい答え、ささやかではあっても自身独自のファンタスティックな在り方が見えてくるように思える。

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