KORANIKATARU

子らに語る時々日記

受験勉強の旗色が悪い時代趨勢


週末にジョギングすることがある。
その週のニュースなどをPodcastで聴きながら事務所周辺を一時間ほど走る。

デイ・キャッチやザ・ボイスに加え辛坊さんや久米さんの人気定番をもっぱら耳にする。
目から鱗の話もあれば耳を疑うような話もあるが、おおむね収穫大の時間となる。

ただ、話者によってはあまりにboringな場合があって時間が勿体ないのでスキップする。
ザ・ボイス火曜日の分はほぼ例外なく未再生のまま捨て置かれることになる。

書き言葉的な物言いで抑揚なく冗長な話が続くので走るリズムに全くそぐわない。
中身ある話もあるようなので喋るのではなく書けばいいのではないかと思ってしまう。

他の曜日担当は、みな聞き処満載なので玉に瑕。
例えば火曜担当をおばちゃん党の代表である谷口さんに替えるなどすれば水曜の有本香さんとも好対照で面白くインパクトあってリズムよくなりもっと面白い内容になるのではないだろうか。


「聞かせる」という点においてはいま辛坊治郎さんの右に出る者はないだろう。
往年の天才話者と言えば久米宏さんであろうが、いまはそれをも凌駕している域にあるのではないだろうか。

そもそもテレビなどでその喋りに聞き入ってしまうほどの話者は限られている。

かつては上方に上岡龍太郎さんがいた。
話のリズムもユーモアもさることながら、弁舌の明快さと説得力において、誰であろうが並み居る話し手を押しのけ、まさに天才、上岡さんが圧倒的に屹立していたように思う。

その他、私のなかの記憶を辿れば、旬なところでは橋下徹市長がぶっちぎり、少し遡れば経営コンサルの大前研一さんの名が浮かぶ。

悪い例では、例えばあのテロ集団の広報担当だった上祐氏も、喋り一点だけでみればかなり手強く達者な印象であった。あれだけ弁が立つのであれば世の中に貢献できる他の用途があったとは思うので彼についてはまさに罪なことである。

こう連ねると、不思議なことに上岡さんを除いては、皆、早稲田という符合に気づく。
言葉について何かが憑依するといった場の力が早稲田には宿っているのかもしれない。


野田阪神の鳥清の焼き鳥はなかなかのものである。
夕刻にもなると代表的なメニューは売り切れている。

やむなく残りモノを選ぶがそれでも美味い。
若鶏専門の甲子園口名店の串は具は小ぶりだが、こちらは熟鳥とでも言おうか、食べごたえ十分、串の身がしっかりしていて豊満だ。

千円分も買えば食べきれないほどの量となる。
キンキンに冷えたビールを忘れず、喉カラカラ、もう渇き死ぬという寸前の状態で事務所に戻って夕飯とした。


テレビをつける。
「世界一受けたい授業」で西大和学園が取り上げられている。

西大和の長所や長年の取り組みが網羅的に取り上げられていた点は評価できるが、両刃の剣、あまりに安易安直な仕方でテレビ的な鋳型に嵌められていたのが残念であった。

西大和の志はテレビという究極の単純化装置によって矮小化されたように思えた。

世界的には珍しいことであろうが、今どきの日本人には勉強をネガティブに捉える性向がある。
テレビを主たる醸成装置とした戦後愚民政策の成果と言えるのかもしれない。

受験勉強と言えば、詰め込み、つまり、「非人間的な回答マシーンの養殖」といったチープにもほどがあるような印象論が一定の勢力を持っているため、受験勉強に焦点が当たりすぎると無意識的な嫌悪感が惹起され反作用の方が大きくなってしまう。

人間にとって勉強は大事なことであり、受験勉強であるから無益だという見解は旗色悪い屁理屈に過ぎず、人生を形作るため少なくとも一定期間、勉強への集中的な没頭が不可避であるという考え方はいまや少数派に属する。

だから受験勉強についてこれみよがしするのは、まさに点数稼ぎ、偏差値の亡者と見下され冷笑浴びせられるか顰蹙買うようなものであるので、今の日本において学を志すのであれば勉強なんてラララと歌って無邪気に振る舞い、禁教を信仰するみたいに隠れて密か精を出すというのが、作法として正しい姿勢ということになる。

今回の放送によって、本来は奥ゆかしく隠すべきであった部分を無防備にも広く世間にさらけ出してしまったというような後味の悪さを覚えるのも、上記した状況を踏まえれば正常な感覚であろう。

とはいえ、ケチついたかもしれない反響の一方で、西大和が持つ教育における真摯と熱意は伝わる人には素直に伝わったことであろう。

伊達や酔狂ではなく実際に一人一人に目を配るという労が尽くされているあの学び舎の本質がテレビ的な演出の行間に垣間見えたのもまた確かなことであったように思える。

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