KORANIKATARU

子らに語る時々日記

野営地を住処とするような男子の結束


ゴルフコンペに向け連絡メールが画面を行き交う。
ゴルフバッグをクリニックに寄ったときに預けておくから運んでね、やら、クルマで拾うから待ち合わせ場所を決めよう、など。
親密で和やかなやりとりだ。

いまは連絡の用に供される33期星光メーリングリストであるが、やがては星光ホットラインと名を変え更に実際的な有用さを増してゆくのだろう。

ゴルフや飲み会といった楽しいばかりの人生ではなく、遠くない日、今日現在頑健な私たちもいずれ老い身動きさえ難しくなる、そのようなこともあるだろう。

昨日道すがら、どこかのおじいさんとどこかのおばあさんが道端でする世間話を耳にした。
おじいさんは独力ではもうお風呂に入れないとそのおばあさんにこぼしていて、おばあさんは、おやまあ、と気の毒がっていたのだが、おじいさんは、笑っていた。

通り過ぎつつ、次の段階を想像してみる。
例えば、風呂に入れてもらうが、熱湯をかけられる、タオルで首締められる、石鹸をのどに突っ込まれる、湯船に沈められる、タイルに頭を打ち付けられる、シャンプーを目に入れられる、風呂の戸で指挟まれる、カミソリで身を切られる、といったようなことがこの世知辛い世、十分にあり得るだろうが、そうなったときにはもはや笑って話せる訳がない。

頼みとする我が子が遠方にあれば助けを求めるのも容易ではない。
そんなときに星光ホットラインが威力を発揮する。
まさにこのときのために準備されて整備されたきたようなものである。

音声入力すれば、それがれっきとしたSOSとなる。

単に話を聞いて、おやまあ、と答えるのではない。
ホットラインの向こう側、地球防衛軍ばりの精鋭が控えている。

打ち手が講じられ、しかるべき問題解決が直ちに図られる。
このホットラインは日米安保条約よりはるかに実効性を有する。


先日、谷口院長から示唆されたダイエット法をヒントにし自分なり取り組んでいる。

朝が勝負の仕事柄、野菜ジュース一杯で凌ぐのは心細く、朝に蕎麦一盛り、昼にも一盛りでまずは始めている。
朝はコンビニで新聞と蕎麦を書い、昼はなか卯で蕎麦を食べる。

自由にしていい夜については、このところは野田阪神の鳥清で焼き鳥と鳥のタタキなどあっさり目のものを選び肴にしビールは500mlを2本だけ、そのように過ごしている。

これだけでもスッキリ感を覚える。
腹回りは徐々にしぼんでいくのではないだろうか。
そもそも朝昼晩いずれもがオーバーカロリーであったのだ。
食べ過ぎ、に着眼できるようになっただけでも大躍進である。

思わぬ副産物もあった。
一日の食費が3,000円を切るようになった。
いいことだらけ、である。


レシートなどを整理していてふと気づく。
この消費社会、レシートが日常の痕跡となる。

私は西宮に住んでいるはずであるが実際の生活が大阪にあると分かる。
レシートという確たるデータが、自らがどこに身を埋めているのかを如実に物語る。
平日はもちろん土日祝日もほぼすべて大阪で過ごしている。

家族が西宮で暮らし働き手である私は経済活動の拠点である大阪に出稼ぎに出ているようなもの、と言えるだろう。

働き盛りの40代。
前門の虎、後門の狼のまっただ中。
前門に張り付き虎に戦々恐々とし、後門では狼に怯えつつ息を潜めるという暮らし。
一日一日を何とか凌いで生き延びていく。

そして、働けなくなれば用済みとなって、廃品として破棄される日を待つだけとなる。
運が良ければ死して「皮」など残るのであろうが、たいていは、もはや無名の物質としての骨と灰だけとなる。

何だか虚しい気がしないでもないけれど誰が悪いということではなく人類がこのような社会こそ最善と構築してきた結果であって、つべこべ言わず男子は身を粉にして死ぬまで働くだけ、それが普通の当たり前、そう腹を決めておくだけのことである。

せめて残そうとする「皮」はオスそれぞれ、このような日記を「皮」だと思ってせっせ書くというのもひとつのあり方だろう。


心優しい祖母であったが感情高ぶると抑えられず祖父に対しまくし立てるようなことがあった。

祖父は何も言い返さない。
聞いているのかどうかさえ分からない。

祖母の言葉が祖父に対する一切譲歩のない全否定であっても、無反応を決め込んでいた。
何か言い返したところで、火に油、嵐は激化するだけと心得ていたのだろう。

不本意であったろうが家計の主柱を担っていたのが祖母であり、そうであれば言われるがままも仕方ない。
時代の隘路に陥らなければ、ひとかどの人物であったに違いない。
しかし長く雌伏し続けざるを得ない星の巡り、祖父の人生は不遇であった。

幼い頃に目にした記憶を蘇らせながら、どこ吹く風とよくぞ静かに聞き流せたものだと在りし日の祖父に感心しつつ、別の記憶が浮上してきて、二つの記憶が合わさり合点がいった。

祖父が小遣いをくれたときのこと。
手の平の百円玉に手を伸ばすと、たちまちのうちそれが消えた。
まさに童心、私は消えた百円をあちこち探すがどこにもない。

祖父が自身の耳を指す。
何と百円玉は祖父の耳の穴を塞ぐような格好で隠されていたのだった。

なるほどそうであったか。
百円玉が祖父の高貴な精神を守ったに違いない。

祖母に対しては「話を聞かない」という対応が最大の防御であったのだろう。
目を閉じれば、百円玉をほれとちらつかせ笑う祖父の面影が浮かぶ。

ありとあらゆる奮闘の果て、祖父母とも今は静か静か生駒山上にて無限の安らぎの境地にあることだろう。

長い年月を経て、一つのシーンから私は学び、そしてそれを子に伝える。


外出先でこの日は「ヤングブラックジャック」と「天空の蜂」のマンガを買った。
子らを思い浮かべ、二人が喜んで読むであろと思えば迷わず買ってお風呂脱衣場の棚に置く。

昨晩、二人がそれらを読む様子が見て取れたので実に嬉しい。
そんな程度のことが、私にとって最大の幸福となる。

週末は友達たちが家に遊びに来るという。
家は子らが育つ場所。

私はとっくに「子」ではなく、野営地を住処とするゲリラのようなもの。
ゲリラ同士の共感を肥やしとし、33期戦友の結束はますます強固なものとなっていく。

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