1
ずっと青空が見えていたので雨の心配はないように思えた。
台風20号はまだはるか彼方の南の海上。
この様子であれば今日一日はもつだろう。
東京駅で降り混み合う地下通路を人波に乗って進む。
行けども行けども半蔵門線大手町駅は先の先。
サイン表示に従い右へ左へ延々とジグザグ歩く。
まるでオリエンテーリングでもしているみたいな気分となってくる。
朝9時、どうやらラッシュのピークは免れたようである。
ホームで人が押し合いへし合いするような様子はない。
入ってきた中央林間行きの電車にも余白の空間がふんだんに見られた。
これであればパーソナルスペースを十分に保てる。
ぎゅうぎゅう詰めの袋詰のような状態であれば電車ではなくタクシーに乗るつもりであった。
先ほど新幹線の車内から並走する普通電車を見かけた。
吸盤みたいに人が窓に張り付いていて滑稽を通り越しとても非人間的な図に見え胸が塞いだばかりだった。
安堵し私は電車に乗り込んだ。
2
つり革につかまる。
斜め前に少しなよっとした感じの男性が座っていて、こちらに何度も視線を送ってくる。
知り合いかもしれないと思って相手の顔を探るが、覚えがない。
半蔵門の駅、乗降口が左右入れ替わり人が大きく動く。
私も降りるためカラダの向きを変えるが、振り返って最後にもう一度彼の顔を見た。
その時、彼は私にスマートフォンを向けていた。
ちょうど私の横顔が入るタイミングで撮影し、その瞬間に私が顔を反転させたので写真は見返り美人のような構図となったことであろう。
彼と目が合う。
彼は少し震えているように見えた。
私は許諾の意を込めた視線を返した。
何かの犯人だと思ったのだろうか、あるいは、変わった趣味なのか。
好きにすればいい。
笑いものにするのでも何でも構わない。
何かの役に立てれば光栄だ。
どうせ減るものではないし、もしそれで5キロくらい一気に減ってくれるなら、むしろその方がありがたい。
3
エスカレータですれ違う人がみな傘を畳んでいる。
外へ出ると本降りの雨であった。
この分だと傘の手放せない一日となりそうだ。
荷物になるが傘を買うしかない。
セブン-イレブンに走って風に強いが売り文句の65センチの傘を買う。
そして腹ごしらえ。
ゆで太郎で「もり」と「ざる」を散々迷った末に「もり」の食券を買った。
どちらを食べようかと迷ったのではない。
同じようなものが別々の名で掲示されている不思議に戸惑ったのであった。
どこからどう見ても「ざる」であろう「もり」をすする。
すすれどすすれど、違いがさっぱり分からない。
4
夕刻、麹町での用事を済ませ任務完了となった。
四ツ谷駅方面、西に向いて麹町大通を歩く。
記憶の彼方、四ツ谷駅近くにかつてしばしば訪れた中華料理屋があった。
昔を偲びそこで食事する心つもりだった。
記憶はおぼろ。
ダウジングするみたいに手探り歩く。
記憶と街並みがほとんど合致しない。
当時の記憶は用済みとなってすでに現実との接点を失い心象風景のようなものとなっている。
だから突き合わせても整合するはずがない。
麹町四丁目付近の中華料理屋に目が留まる。
記憶に残る店構えと似ている。
そうそう、こんな感じであった。
目的地周辺に到達すれば必ず記憶は明瞭に蘇るに違いない。
四ツ谷駅の交差点ではSEALDsならぬ「爺ルズ」がアベ政治許すまじと意気軒昂ビラを配っている。
私はビラを一枚受け取ったが、勤め帰りであろう大方の人はJRへと地下鉄へと早足で向かい「爺ルズ」を無視して通り過ぎていく。
中華料理屋がありそうなそれらしき場所を探し、飲食店の集まる界隈を10分ほど歩いた。
日は落ち、光の主役はネオンへと移っている。
飲み客を自分の店へと誘うスタッフらの声が勢いづいていく。
金曜夜、飲み屋の通りは活況を呈してきた。
ほどなく私は確信した。
これまで一切、私は四ツ谷で食事などしたことがない。
見当違いであった。
中華はあきらめ四ツ谷駅のホームに立ち東京行きの電車を待つ。
漠とした影のように当時の登場人物が浮かぶ。
私はその影と幾度かこの駅のホームで総武線の電車を待っていた。
そして微かに思い出す。
麹町から四ツ谷まで私はその影と一緒に歩いた。
きまって二人はほろ酔いだった。
その情景が起点となり徐々に記憶を取り戻す。
ようやく気付く。
店は麹町だ。
麹町に用事があった際、麹町で食べて飲んだ。
シラフで四ツ谷まで歩いたのではない。
すでにいい感じでお酒が入って、四ツ谷まではほろ酔いで歩いたのだ。
四ツ谷にその店がある訳がない。
私にとっては、四ツ谷駅とそこへ向かって歩いたそのシーンだけが肝心な記憶なのであった。
強弱で言えば四ツ谷の記憶が強であり、その他周辺の記憶は弱に過ぎず自然にかき消えたということになる。
であれば、麹町から歩いて四ツ谷駅のホームに立った時点で「昔を偲ぶ」目的は果たせたことになる。
そもそも中華などどうでも良かったのだ。
消え去りかけていた記憶のうち重要な核の部分が、そこに到達したことで、あにはからんや補強され再生されることとなった。
じーんと来るような懐かしさが込み上がる。
東京行きの電車がやってくるまで、私は胸いっぱい昔を偲んだ。