KORANIKATARU

子らに語る時々日記

長く険しいつづら折れの道


土曜夕刻、昔なじみの銭湯に寄って一汗流す。

物心ついた頃から大の風呂好き。
家風呂では肌の目詰りまでは落とせない。
真の清潔好きはお風呂に通う。

極楽湯。
おそらく生涯通算、最多通ったお風呂だろう。

先代番台の爺さん婆さんの面影を思い出しつつ、過ぎ去った日々を湯に浮かべ長く安息の時間にひたる。

所帯持ってからも銭湯通いは変わらなかった。
自転車の前と後ろに子らを乗せ、鼻歌まじりペダル漕ぐ幸福に勝るものはない。
風呂の仕上げはコーヒー牛乳。
額縁にでも飾っておきたい人生珠玉の名場面は大半が風呂に由来する。

お風呂あってこその人生、カラダ外側だけでなく内面にまで好影響がもたらされ、万事よし、との結論に導かれる。


どっさりビールの入った包みを両手に提げ実家へ向かう。

ご馳走が所狭しと食卓に並ぶ。
お鮨、焼肉、うなぎ蒲焼き、、、どれもこれもが主役を張れる料理の揃い踏み。
まるでお祝いごとでもあるかのよう。

引き続き弟が現れ、我ら父母兄弟四人が勢揃い。
親子水入らずで食卓を囲む。

今日は月一回、定例としている親父との飲み会の日なのだった。

まずは孫の近況を話す。
七十過ぎれば孫の話題が史上最大の関心事。

孫らはついこの間までちびっ子だった。
週末になると父は孫らを引き連れよく一緒に遊んでくれた。
科学館やら動物園やら交通博物館や海遊館、訪れた場所は数えきれない。
電車が好きとなれば、ターミナル駅の連絡橋などで抱きかかえ、飽きるまで電車を見せてくれた。

それがあっという間、ガタイのいい男子となっていく。
時折は学校帰りに長男、二男それぞれ顔を出すのだという。

その様子について、父が語り始めると止まらない。
可愛いを通り越しそこに命が引き継がれるのだと心底感情移入していると言えるだろう。


父も母も日々老いつつあって、しかしなお健在。
私たちはまだまだお子様レベルの扱いだ。
つまり、私にとって長男二男はどれだけ一人前の男子になろうが永遠の幼子のようなものということなのだろう。

父母らと暮らし共有した時間のもっとも濃厚な部分は日に日に遠い過去となっていく。
それらをこちら側に引き戻すかのよう、昔話に花が咲く。

幼かった頃に見聞きした光景が匂いや音や肌触りを伴って蘇り、様々な顔ぶれがありありとした表情のままそこに現れる。

そこを経てきた父母の人生を想う。
父母の辿った道のりは生易しいものではなかった。
親の苦労の実際について、子は知る由もない。
麓から頂に到る、長く険しいつづら折れの道を倦まず弛まず歩く二人の姿を目に浮かべることができるだけである。

堪え凌いで一日一日を積み上げてきたその精神にはただただ頭垂れ感謝するしかない。
両親の穏やかな顔を見つつ道半ばにある私は励まされ、まだ麓に辿り着いたばかりの息子たちに日記を通じてエールを送る。

誇るべき爺ちゃん婆ちゃんである。
その負けじ魂は、格好のお手本だ。
その孫なのである。
自信満々であっていい。

あと7〜8年もすれば、長男二男もこの飲み会に参加できることになる。
待ち遠しい。

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