KORANIKATARU

子らに語る時々日記

中学受験まであと百日となった頃の思い出


まれに過去の日記を振り返る。
例えば去年の今頃。
更に遡って、一昨年、一昨々年、その昔へと進み流し読みする。

数年前の出来事があまりに近い。
驚かざるを得ない。
遠く過ぎ去ったように思え、実は近くに留まっている。


子らの中学受験についても、つい今しがたのこと、といったほど記憶に鮮明だ。

いま時分であれば、ちょうどあと三ヶ月といった時期。
百日を切る訳であるから、緊張感高まっていてもおかしくない。

振り返れば、まだ悠長に構えていた。

長男が本気を出したのは11月。
二男については凄み見え始めたのは12月であった。

親子ともども、心のどこかで楽観し余裕を気取っていたことは否めない。


むやみに高いハードルを課していた訳ではなかった。

最高峰の争いは熾烈を極めるにしても、ちょっと下の方はニッチな隙間、静か穏やかなものであり、数百もの人数が合格するのであれば、そこに潜り込めないはずがない。

少し着眼を変えれば入試なんてほぼ無風でしのげるようなもの。
長男の時にはそう考えていた。

そして、塾の試験は、直前になればなるほど精度が増してくる。
盤石安泰といった境地とは無縁の世界であると思い知らされることになる。

ウカウカしてられないと心底痛感しなければ、人は本気を出すことがない。
ましてや子ども。

直前期は本番に臨み切迫するような感情の凝集度が一気に高まっていく時期であった。

自滅する一群があり、目覚ましいほどの追い上げを見せメキメキと頭角を現してくる一群があった。
たかだか12歳、成長期のまっただ中であり、勢力地図はめまぐるしく変動する。

先頭グループからどんどん引き離されていく子どもたちについてその胸のうちを推し量れば、当惑という一語に尽きるのであろう。
長く準備してきた、いよいよ本番だ、ところが水を開けられていく、自分より下位であったはずのものが凄まじい勢いで迫ってくる。
頑張ってもすべての努力がまるで空転するかのよう、無力感に打ちひしがれていく。

端から子ども子どもであっけらかんとした子と伸びの止まった子らを置き去りに、わっせわっせとラストスパートのペースが激しさを増していく。

ラグビーで鍛えた長男であった。
ボールの奪い合いとなれば、そう簡単に負けるような男ではなかった。
終盤、鬼気迫る本気を出し何とか切り抜けることができた。

長男にとってこの精神戦で得た糧は大きいものであったように思う。


二男については長男の反省を踏まえてのことであったので、もっと早くから完成度を上げることを心掛けた。

直前の乱戦においてもビクともしない、その位置を脅かされないレベルに高めておけば何も案じることはない。
そう考えた。

ところが中学受験の問屋はそうは卸さない。

不安材料がなくなるほどの安泰の位置など、存在しないのであった。
存在するにしても遠すぎる。
これで大丈夫、など幻想に過ぎなかった。

どこを受けても大丈夫だろう、というのは、どこを受けても大丈夫ではない可能性と背中合わせなのであり、そのレベルの者らがガチンコで本気を出して椅子を獲り合うのであるから、一瞬でも魔が差し不覚を取れば、勝ち筋から一気に負け筋の流れを突き進むこととなる。

そうと分かったからには、試験において親は極度の緊張を余儀なくされた。
二男のときは楽勝、と想定していたが、まともな頭で考えれば「楽」こそ魔物。
中学入試は油断も隙もない激戦以外の何ものでもなかった。

要は落とすための試験である。
危なげなく切り抜けられるような生易しい相手ではない。
親切で思いやりがあって包み込んでくれる、試験問題にそんな温情はなく、味も素っ気もなく「差」を生じさせるために存在するまさに魔の尋問官とでも言うべき存在。

幸い、二男も走りぬき無事にゴールを切った。
振り返れば楽勝であったと記憶は変貌してしまいそうになるが、かつての日記を読めばそうでなかったことが如実に分かる。

二男にとってもこの精神戦で得た糧の大きさは計り知れない。


そして、もっともたいへんだったのは家内であっただろう。
子らも頑張ったが家内あっての合格であったことは間違いのないことである。

お疲れさんとあらためてその労を男子三人でねぎらわなければならない。

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