KORANIKATARU

子らに語る時々日記

がんばれ、ミチノブ


焼き鳥を食べたいとの二男の希望に従う。
事務所の戸締まりをし武庫之荘へ向かう。
駅を降り西へ徒歩3分。
錦屋の灯が左手に見えた。

家族は先に到着しすでに注文も終えている。
わたしはテーブルの端に腰掛ける。
家内の許可を目で得つつ慎み深い客人のように追加を注文する。

最近さらに太り気味ではないかと家内からの注意が絶えない。
以前のように好き勝手注文するのが憚られる。
注文権は剥奪されたようなものだ。

このところ牛丼屋などで食事を済ませる機会が多く、またコンビニで買い食いする回数も増えている。
ついついカロリーオーバーとなりがちだ。

一人暮らしをしていた大学生の頃と食の内容は大差ないが、円熟の中年、身となって蓄積する度合いは倍加しているようである。


美味しそうにガツガツ食べる二男の横顔を見つつ、私は雀みたいにチュンチュンとついばむ。
無事中間テストを終えた解放感がこちらにも伝わってくる。

いつだったかうんと小さかった頃の表情を思い出す。

私と二男で出かけた時のことだった。
クルマに戻ると、ワイパーに何かメモのようなものが挟まっていた。
二男が先に見つけそのメモを手に取った。

「このクルマ、売って下さい」と書かれ連絡先が記されている。

二男の表情がぱっと華やいだ。
我が家のクルマを気に入った人がいる。
ラブレターでももらったような気分だったのだろう。

しかし時を移さず気づくことになる。
そのメモはコインパークに停めてあるどのクルマにも差し挟まれていた。

二男の表情が照れたようなものに変化した。

なんと可愛い。
思い出して何度でも可愛い。

親バカばかりを対象に幸福度を測れば、日本の世界幸福指数ランキングは急上昇するに違いない。


武庫之荘のお店は上品で軒並み感じがいい。
その日お昼の光景を話そうとするが場違いなので踏みとどまり口をつぐんだ。

野田阪神のラーメン屋でのこと。

私が座るカウンター席の真後ろ、テーブル席におばさん二人が向かい合っていた。
その会話がダイレクトに届いてくる。

おばさんは弟であるミチノブの嫁が気に食わないようだ。
聞き役であるおばさんの合いの手がお見事で、嫁を腐す話がエスカレートしていく。

家が散らかっている。
布団が敷きっぱなしでべとついている。
嫁は掃除をしない。
ミチノブが仕事終え帰ってきてから掃除する羽目となる。

あの嫁は不出来過ぎる。
いい歳して、夢見る夢子ちゃんみたいに家でアニメばかり見ている。
仕事に出る気はさらさらないようだ。

そうそう、トイレなどもっとひどい。
おばさんの話が遂にミチノブ家のトイレの扉を開け放つ。

トイレの様子が微に入り細を穿って描き出されていく。
まるで品物を眼前に近づけられその商品説明を受けるかのよう。

ここがカレー屋でなかったことが不幸中の幸いであった。
それでも食事のときに生身の便器を想像させられることほど耐え難いものはない。

野ざらし雨ざらしのままぽつんと佇み洗われることなく疲弊する便器が、頭に浮かんで離れない。
ラーメンの鉢が便器と重なりそうになる度、頭を左右させその像を振り払う。

次第次第、ミチノブの不甲斐なさに苛立ってくる。
彼がトイレも掃除すれば済む話ではないか。
私だって朝一番にする事務所フロアのトイレ掃除を欠かしたことがない。

そんなことだからアニメな嫁しか当たらないのだ。
お姉さんが公衆の面前でトイレについてご開陳吹聴するのもぜんぶ含めてミチノブの責任だ。

そして、世界中のミチノブにエールを送りたい気持ちとなってくる。
がんばれ、ミチノブ。

嫁が悪いのではない。
自らできることは、まずは自ら行うのだ。
まずはトイレの掃除から。

そうすれば、運の巡りは変わってくるにちがいない。
トイレがキレイになって家も片付けば、今はアニメ好きの嫁もキレイ好きになるかもしれない。
そうなれば嫁が率先して掃除するということだって起こりえる。

がんばれ、ミチノブ。
まずは隗より始めよ、だ。


今日の日曜日。
天気は雨模様。
長男も二男もそれぞれ別行動。

私は命の洗濯、のびのびとひとり、映画でも見て過ごすことにする。

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