いらつくことなど滅多にない。
先を急ぐことはほとんどないので電車は鈍行を好むし、クルマでも近道よりは好きな道を選ぶ。
電車では読書、クルマでは音楽を楽しむ。
急いた気持ちになることほど居心地の悪いものはない。
前もって支度し、のんびり過ごせば時間は一層味わい深くなる。
ゆっくりするため毎朝早起きしているようなものである。
この日、お昼を済ませた後、通りかかったついで近所の郵便局に寄った。
申請ごとの払込みが4件あった。
どういうわけか人手が少なく5つある窓口を2人が切り盛りしていた。
郵便業務を女子職員が行い、金融業務を男性職員が行っている。
何か煩雑な手続きでもしているのか、金融窓口のおばさんの番がなかなか終わらない。
気長に待つ。
しばらくしてようやく終わった。
おばさんは去り際にするような挨拶をし窓口を離れようとする。
が、それを男性職員が引き止めた。
職員はおばさんに対し何やら金融商品の勧誘をし始めた。
数字を列挙しどれだけ有利な商品なのか説明し始める。
人がいいのか話し好きなのか。
おばさんは引き止められて迷惑そうにするのでもなく窓口に正対し好意的な相槌を打っている。
数字の意味は分からないが誰かの親切を邪険にできない。
だから「おや、まあ、そうなの」と感じのいい言葉がついつい口をついて出てしまう。
かなりの時間を待たされたが、どうやら更に当分、私の順番は回ってこない。
私以外、すでに二人の客があとにつかえている。
男性職員に意に介する様子はない。
おそらくは契約件数などのノルマを課されているのであろう。
言葉は悪いが目の前につけ込みやすそうなおばさんがいる。
今がチャンス。
い・ま・が・ちゃー・ん・す。
ナーウゲッターチャーンス。
獲物に照準合わせれば思慮は外野にまでは及ばない。
待たせて申し訳ないとなるはずはなく、少し待ってろ今は手が離せない、というようなものであろう。
それで私もようやくのこと少しは苛立ってきた。
待たされることにではなく、平然と不届きなその態度に。
郵便局の窓口の仕事とは何なのだろう。
日常の業務よりも勧誘が優先されるべきものなのだろうか。
だんだんと不快にもなってくる。
他の客をなめるにもほどがある。
ちょっとあんた料簡違いではないか、と男性職員に詰め寄ろうと腰を上げたその時、状況を察知した女子職員が郵便窓口から金融窓口に素早く移ってきた。
おまたせしてたいへん申し訳ありませんでした、と恐縮したような表情で言い手続きを引き受けてくれる。
男性職員はこのやりとりに全く気付いていない。
笑顔満面饒舌巧みに勧誘にご執心のままだ。
これには次に待つ紳士然とした男性客も苦笑を隠せない。
用が済めば異論はない。
私は女子職員に礼だけ述べて郵便局を後にした。
そしてその男性職員について考える。
お客さんのことを真心から思って金融商品を勧める訳はなく、その金融商品を売れば自身の懐が一気に潤うというはずもない。
ただただ、課せられたノルマをこなすためだけのことであるに違いない。
一見気楽に見えはするけれど、ノルマが拘束力を持つのだとしたらその拘束の強度に比例して実はたいへんな仕事ということになる。
他人に目標を課せられるような毎日を想像してみる。
私なら息が詰まって耐え難い。
不可侵であるべき領域が他者の支配下に置かれる。
ひどく辛いことにしか思えない。
到底私には真似できないことである。
そして気付く、彼には私にないものが備わっている。
見方が変わる。
苛立ちは消え、そのように頑張って仕事をこなす姿に敬意のようなものを感じ始める。
勧誘に手を抜かない執念のようなものにも頭が下がり、私自身の気楽さを恥じるような気も生じてくる。
いらついている場合ではなかった。
私に備わっていないものを汲み、そのガッツからこそ学ばなければならなかった。